あらすじとレビュー「ムーン・パレス」ポール・オースター(新潮文庫、1997)

あらすじ

マルコ・フォッグはボストンで生まれた。幼少期に両親を亡くし、叔父のビクターに育てられた。ビクター叔父さんとの約束を果たすため、貧しく厳しい環境の中でコロンビア大学を何とか卒業した。その後、ホームレスとしてセントラルパークに1ヶ月滞在し、キティ・ウーやジマーに助けられ、回復した。

そして、コロンビア大学の学生課で奇妙な仕事を見つけた。その仕事は、盲目の奇妙な老人、トーマス・エフィングと友人や話し相手として付き合って、彼の波乱にとんだ人生を聞き、彼の自伝を書くことだった。自伝は完成したのだが、エッフィングはわざと病気になり亡くなった。

マルコは自伝の一冊をエフィングの疎遠になっていた息子ソロモン・バーバーに送り、彼はマルコに会うためにニューヨークを訪れた、、、

ブック・レヴュー

1989年に発表されたポール・オースターの5作目の長編小説。オースター初の本格的な長編小説である。ある青年の物語であり、彼の思春期とその過酷な人生を一人称の視点で追い描く。そして、登場人物のサブエピソードがたくさん出てきて、それが最後につながっていく。この物語の一部は、オースターの実体験に基づいているのではないだろうか、と私は思う。

ポール・オースターによる初の壮大な物語であり、登場人物、場面、エピソードが多く、様々な要素がある。ニューヨーク三部作や『最後の物たちの国で』は、本格的な執筆の準備である。この小説は、『孤独の発明』から『最後の物たちの国で』までのオースターの作品のひとつの帰結である。この小説では、深い自己探求やアイデンティティーの思考と、優れたストーリーテリングが見事に融合している。

この小説は、はじめのうちは、惨めで孤独な青年とその自己探求の物語に過ぎない。しかし、多くのエピソードがつながり、この物語は3つの世代の壮大な家族の歴史へと発展していく。そして、マルコは自己の生まれの謎を解き、家族のルーツを見つけるのである。

第4章、第5章のエフィングの話は、エフィングが滞在した洞窟のように長く、退屈で読みにくい。エフィングの仕事と話は、マルコにとって一種の精神的な試練である。この試練を経て、マルコの心は成長し、一時は幸せな時間を過ごし、暗い洞窟から光が見えるように、家族の歴史の謎を解く鍵を見つけた。

二十四年のあいだ、解答不能な問いを抱えて暮らしてきた僕は、その謎をまさに、僕という人間の核をなす事実として受け止めるようになっていた。僕の起源はひとつの神秘であり、僕は自分がどこから来たのかを決して知ることはないだろうーーそのことこそが僕を定義していたのだ。僕は自分のなかの闇に慣れきって、いわば知と自尊の源としてその闇に固執し、ひとつの存在論的必然としてそれに依存するようになっていた。(p. 506)

この記述が、この小説の最も重要なものだと私は思います。これが小説の意味であり、メッセージ、思想です。孤独、苦難、何も持たないことがマルコのアイデンティティであり、誇りであり、自尊心であった。マルコは、この負のアイデンティティやモチベーションによって生きてきたのだ。そして、ルーツの謎が解けたことで、思いがけずこの負のアイデンティティやモチベーションさえも失い、ゼロから生きなければならなくなった。同時に、家族、血縁、友人もすべて失ってしまった。

この小説の中で最も多く登場する象徴のは「月」である。例えば、レストランのムーン・パレス、卵、ヴィクターおじさんのバンド名、ムーンライト・ムーズやムーン・メン、1969年のアポロ11号の月面着陸、ラルフ・アルバート・ブレイクロックの絵「月光」などです。これは暗闇の中の光、あるいは悲劇の中の希望を意味しているメタファーだと私は思います。最後に、マルコはゼロから生きなければならなくなるのですが、彼の心は生まれ変わり、生きる希望を見出し、青春が終わり、彼の新しい人生が始まったのです。

商品詳細

ムーン・パレス
ポール・オースター
新潮社、東京、1997年9月30日
532ページ、990円
ISBN 978-4102451045

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あらすじ

ファンショーは私の親友だった。彼は頭がよくて、洗練されていて、印象的だが、ごく普通の少年だった。ハーバード大学を中退し、石油タンカーの乗組員になり、あの後、パリや南仏を放浪した。そして、小説、詩、ドラマ、ノートなど、多くの文章を書き残した。しかし、彼はそれらを出版しようとはしなかった。

アメリカに戻り、ファンショーはソフィーと結婚する。しかし、1年以内に原稿を出版すると約束した彼は、その3、4ヵ月後に突然、彼女の前から姿を消した。

ソフィーは、私にファンショーの原稿を出版するよう依頼した。すると、ファンショーの本は評判がよく、とても売れたので、本よりある程度のお金が入るようになった。そして私は、彼の本の出版のエージェントのような存在になり、彼についての記事や批評を書いた。そして、ファンショーの伝記を書くことになり、パリや南仏に行き、彼の痕跡を探した。そして、ファンショーを探し、ファンショーについて考えることに没頭していった、、、

ブックレビュー

この小説は、ポール・オースターの自伝的物語だと思う。この物語は、オースター自身の自己反省、あるいは自己確認の作品である。

オースターは、非常にハングリーな青春時代を反映し、タンカーに乗り、パリや南仏、ヨーロッパを放浪する姿をファンショーに反映している。語り手とファンショーのエピソードや来歴は、彼の自伝的エッセイ「空腹の技法」に登場する実体験に似ている。一方、作家となった後の年老いた彼の姿も語り手に映し出されている。

この小説は、語り手がファンショーの行方を探すというのがメインであり、表向きの物語である。しかし、この小説の真のテーマは、ファンショーの心の真意であり、今日の人間のアイデンティティとは何か、人生や書くことの意味と無意味さへの哲学的な問いかけ、物語を作ることの意味とその難しさである。

タイトルの「鍵のかかった部屋」とは、ファンショウが閉じこもった南仏のカントリーハウスの鍵のかかった部屋のことである。この部屋は、ファンショウの閉ざされた心のメタファーでもある。

ファンショーは語り手の分身、あるいはもう一人の自分であった。語り手はファンショーを追い求め思えば思うほど、自分自身あるいは自分のドッペルゲンガーを見るような難しさと複雑さを感じていた。そしてオースターは、その二人の人物に自分自身を重ね合わせた。この複雑さは、オースターがオースター自身を見るという自己言及的な行為から生じているのではないだろうか。

この小説は、前二作と異なり、探偵小説をモデルにしていない。しかし、この小説は、ファンショーの居場所と謎を探す「ハイド・アンド・シーク」の物語である。そして、語り手は、その行為を探偵のようだと言っている。だから、語り手はファンショーの行方を探る探偵であると同時に、ファンショーの心、本心を探る探偵でもあると私は思う。

そこには、ファンショー、語り手、オースターの三者の自己反省、自己肯定、物語りの構造が構築されていたと思う。語り手はファンショウのことを描写した。オースターは語り手(とファンショウー)についての物事を記述した。この自己反省の構造によって、この小説は、書くこととは何か、自己とは何かという答えのない問いを表現し、問うているのである。

この小説はとらえどころのない小説でもある。例えば、ファンショウの書くものの内容については記述がなく、答えも結果も行き先もない。また、この小説は書くことについての文章であり、書くことについての小説である。そして、ファンショーの赤いノートの言葉は、「彼らの最終目的は、お互いを打ち消すことだった」であり、この小説にもその概念は適用できる、この小説の内容は、お互いを打ち消すことなのである。つまり、答えも解決策もなく、矛盾した状態だけが残ったのだ。答えがないことが、この小説の答えであり、ニューヨーク三部作の帰結であるはずだ。

ストーリーテリングは非常に優れていてスリリングだし、書くことや存在についての哲学的考察も重要である。オースターは、自らの実体験をもとに、この美しく思慮深い物語を構成することに成功した。書くこと、生きることの価値、喜び、苦悩を見事に表現している。

商品詳細

ガラスの街
ポール・オースター
新潮社、東京、2013年8月28日
251ページ、550円
ISBN 978-4102451151

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あらすじ

きっかけは、間違い電話だった。ニューヨークのミステリー作家、ダニエル・クインは、私立探偵ポール・オースターとして、ピーター・スティルマンの事案を引き受けた。ピーター・スティルマンの妻ヴァージニア・スティルマンは、同姓同名の父ピーター・スティルマンを監視するよう依頼し、異常でオカルト的な宗教論の本を書いた、このコロンビア大学の元教授は、もうすぐ釈放される。彼は、息子を9年間も部屋に閉じ込めていた。

クインは2週間ほどスティルマンを監視したが、彼は街の一定の区域を彷徨っているだけだった。クインはスティルマンに話しかけようとしたが、彼の話は支離滅裂だった。ある日、スティルマンは突然宿泊していたホテルをチェックアウトし、クインはスティルマンの行方を見失う、、、

ブックレビュー

1985年に発表されたポール・オースターのメジャーデビュー作で、ニューヨーク三部作の第一巻。

13章からなるこの小説は、探偵小説のスタイルを借りている。そして、スノッブなこのポストモダニズムや前衛文学は、様々な要素や記号、多くの細かい興味深いエピソードや古典文学の言及が含まれている。現代の巨大都市ニューヨークの混乱、複雑、困難、空虚を描き、伝統的な小説の壮大な物語、意義、形式を脱構築している。

私の第一印象は、この小説が、同じく探偵小説の形式を借用したオースターの次作「幽霊」に似ていると思ったことだ。どちらも主人公が謎めいた人物に戸惑い、混乱し、操られるというストーリーで、ストーリー展開や要素が似ている。

ポール・オースターや現代の小説家の作品のほとんどは、謎解きや解答を求めるという構造を持っている。オースターはこの小説で、その構造そのものを象徴的な形で示している。

また、ところどころでオースターは、自身の文学思想や書くことについての哲学を示している。つまり、オースターは、小説の理想的な形として、実用的な探偵小説を挙げており、それは、無駄がなく、意味にあふれている。そして、クインは、物語とその組み合わせの関係に興味を持った。そして、言葉は固定された意味を持っていない。言葉も物語も、書くという人間の営みによって作られるべきものである。しかし、スティルマン・シニアは、現代の言語理論の思想を否定し、それを堕落だと考えていた。この小説でクインは、物事の断片を集め、赤いノートに書き、結果的に彼の物語を構築することになった。オースターの書くことの思想は、ウィトゲンシュタインの言語ゲームやサルトルの実存主義を合わせたものであり、ポストモダンの脱構築の理論も含んでいると思う。身体性、現実性、偶発性、ランダム性に重点を置いた能動的で実用的な執筆方針である。

この小説は、物語と文章の優れた物語である。この小説の中の小さな物語たちは、見事にこの物語を構成している。そして、この小説は自己言及的小説である。作家ポール・オースターと語り手は作家であり、登場人物はポール・オースター自身を映し出しているのだろう。

そして、ポール・オースターの小説の優れた特徴は、ニューヨークや推理小説、探偵に関する概念、クインが赤いノートを買ったときの描写、ピーター・スティルマンの「楽園とバベルの塔-新世界の初期ビジョン」の要約、グランド・セントラル駅の描写、作家ポール・オースターが語るドンキホーテについてのエッセイなど、印象深く色鮮やかな場面と面白く知的で優れた記述、小さな細かいエピソードが多くあることだと私は思う。それらは音楽のように、特に交響曲や協奏曲のように、ハーモニーと調和したイメージを呼び起こす。

この小説は安楽椅子の小説ではなく、都市の中の物語であり、動いている中の物語である。オースターの小説の書き方のポリシーは、小説は都市の中で、動きながら書くべきだということだと私は思う。オースターの小説の主人公たちは、現実や制限された状況の中で動き、困難と戦い、奮闘し、物語が進行していくのです。つまり、この小説はウィトゲンシュタインが言及した言語ゲームのオースターによる実践なのです。オースターの小説でも、登場人物たちは、言葉や物語を構築するそれぞれの言語ゲームを行っている。

そして、この小説のサブテーマとして、クインとスティルマン・シニアの言葉や言語に対する見解の対立がある。前者はウィトゲンシュタインの言語ゲームやソシュールの記号論のような現代的な実践言語論である。後者は、ヴィルヘルム・フォン・フンボルトやヤコブ・グリムなど、インド=ヨーロッパ祖語を追求する古典的な歴史言語学のようなものである。

しかし、クインはその闘いに敗れ、問いを解いて答えを見出すことができなかった。読者はクインと一緒に物語を考え、体験した。しかし、疑問や謎は解けず、この小説は明らかではないかたちで、現代人の空虚と混乱の問題を読者に問いかけていたのである。そして、この小説には結論と答えがない。多くの謎と疑問が残っている。だから、私は、結論がないことが答えであり、結論だと思う。

商品詳細

ガラスの街
ポール・オースター
新潮社、東京、2013年8月28日
251ページ、550円
ISBN 978-4102451151

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