デレク・ハートフィールドは、村上春樹のデビュー作「風の歌を聴け」に登場するアメリカの架空の作家である。(1節、32節、40節、あとがき)つまり、彼は現実には存在しなかった。
彼の人物のモデルは、カート・ヴォネガットかロバート・E・ハワードだと思われます。
デレク・ハートフィールドは1909年、オハイオ州の小さな町で生まれた。高校を卒業後、故郷の郵便局でしばらく働いた後、作家となった。
彼は不遇の作家であった。1930年、5作目の短編小説を「ウェアード・テイルズ」に20ドルで売った。翌年は月に7万字、翌々年は10万字、亡くなる前の1年間は15万字を書いた。半年ごとにレミントンのタイプライターを買い換えていた、という伝説がある。
彼の作家生活はわずか8年2カ月だった。作品の多くは冒険小説やホラー小説である。最大のヒット作は「冒険児ウォルド」シリーズで、両者を合わせたものである。このほか、「気分の良くて何が悪い?」(1936年)、半自伝的作品「虹の周りを一周半」(1937年)、SFの短編小説「火星の井戸」などがある。
スコット・フィッツジェラルドやアーネスト・ヘミングウェイと同年代の作家で、彼らに匹敵するほど言葉を武器にできる作家であった。しかし、彼の文章は読みにくく、ストーリーは出鱈目で、テーマも未熟である。しかし、彼は自分が戦っているものが何であるかを正確に捉えることができず、そのため彼の人生とキャリアは不毛で惨めなものであった。
母親が亡くなった1938年、ある晴れた日曜日の6月の朝、彼は片手で傘を差しながら、もう一方の手でヒトラーの肖像画を持ってエンパイア・ステート・ビルディングから飛び降りた。
中学3年の夏休み、主人公は叔父からデレク・ハートフィールドの本を貰った。また、高校生のとき、神戸の古本屋で外国人船員が売っていったハートフィールドの何冊かのペーパーバック(1冊50円)を買った。
ハートフィールドに関する記述は、村上春樹の執筆の哲学、人生のポリシーを表しているだろう。「職業としての小説家」で、村上は「風の歌を聴け」を書いたとき、「これは何も書くことがないということを書くしかないんじゃないか」と思ったという。(p. 134)
ハートフィールドの作品に『気分が良くて何が悪い?(What’s Wrong About Feeling Good?)』というタイトルがあったが、これは芸術至上主義的・権威主義的な日本の文壇に対する村上の反感を意味している。彼は、「書いていて楽しければそれでいいじゃないか」と思っていた。 (p. 270)
ハートフィールドの文章は、日本の純文学の壮大な物語や意義を解体する理想的なモデルである。主人公は、そのスタイルから文学を学んだと言っている。ハートフィールドは、書くことが人々と物事の間の距離を検証する行為である以上、感性ではなく、物差しが必要だといった。
日本語版のみ、嘘のエピソードとして「ハートフィールド、再び… …(あとがきにかえて)」というあとがきがある。内容は、主人公あるいは村上自身が、デレク・ハートフィールドの小さくてみすぼらしい墓を訪ねたというものだ。このあとがきの効果もあって、日本の読者はハートフィールドが実在の人物であると信じ込んでしまった。小説が出版されると、ハートフィールドが実在すると信じていた読者から問い合わせがあり、図書館の司書たちは困惑したという。
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参考文献
『風の歌を聴け』村上春樹(講談社、1979)
『職業としての小説家』村上春樹(スウィッチパブリッシング、2015)
『村上春樹語辞典』ナカムラクニオ、道前宏子(誠文堂新光社、2018)