‘iCon Steve jobs: The Greatest Second Act in the History of Bussiness’ Jeffrey S. Young, William L. Simon (John Wiley & Sons, 2006/6)
‘iCon Steve jobs: The Greatest Second Act in the History of Bussiness'[Audiobook] Jeffrey S. Young, William L. Simon (Penton Overseas, 2005/5)
『スティーブ・ジョブズ-偶像復活』ジェフリー・S・ヤング、ウィリアム・L・サイモン (東洋経済新報社、2005年11月)
カリスマ、スティーブ・ジョブズの情熱とビジョン!!
iPod nano、Mac miniまでのスティーブ・ジョブズの半生とビジネスを扱ったバイオグラフィーです。
内容は、出生・学生時代~アタリのアルバイト・アップル創業~リサ・Macの誕生~Nextと不遇の時代~ピクサーと映画産業での活躍~アップル復帰とiMac~iPodと音楽ビジネスなど、アップルだけではないスティーブ・ジョブズの業績と出生や結婚などの私生活まで取り上げられています。
技術的な面での詳細な記述ではなく、文化的社会的な面でアップル社・Apple ll・Macintosh・iPodがいかに革新的であったか、MacやIT産業を産み出したシリコン・バレーやアメリカの風土やアップルの社風、そして、人としてのスティーブ・ジョブズ、という点に焦点が当てられています。
出生の秘密や幼児期の性格、結婚・離婚と子供の認知の拒否、ジョーン・バエズとの関係といったプライバシーの領域、カリスマと権力による強引な意思決定やエリート集団の洗脳、粗暴な性格といったものが赤裸々に書かれているので、スティーブ・ジョブズはこの本の出版に激怒したそうです。
スティーブ・ジョブズのコンピュータ産業での冒険の軌跡を辿ることのできる読み物として面白い本です。
この本は、オーディオ・CD、日本語訳もでているので、中級の英語リーディング/リスニングの教材、始めて読む長編の洋書(359ページ)としてもオススメです。
僕のオススメする使い方は、CDのトラック一つごとに、「CDを聴きながら本に目を通す」(CDは、全体の半分くらいの分量のダイジェスト版なので、どの部分が読まれているか、のチェックが必要です。本とCDで多少順番が入れ替わっている部分もあります。)→CDで読まれた部分を「読みながら、わからない単語は訳していく」→「意味を捉えながら、CDに合わせて読んでいく。」ということを繰り返すことです。
それが終わったら、毎日少しずつ全体を読んでいったり、移動中にiPodでオーディオ・ブックを聴いたりしましょう。
ビジネスやコンピュータ関係のボキャブラリーの入門や口語表現の入門としても活用できます。
Macやスティーブ・ジョブズ、コンピュータ・IT産業の歴史に興味があって、かつ英語力を上げたい人に大推薦です。僕たちMacユーザーは必読です。
Goodbye!! See you again.
iCon Steve Jobs: The Greatest Second Act in the History of Business
iCon Steve Jobs, the Greatest Second Act in the History of Business
スティーブ・ジョブズ-偶像復活
1.それは「音楽」なのか?
ナイト・クラブでテクノ・サウンドの大音響とクラバーたちの身体の中で踊っていると、音楽に対する不思議な思索に陥ることがある。クラブのフロアでは6時間以上のもの間、常に途切れることなく“音楽”が流され続けている。その“音楽”はヴォーカルの入らないインストゥルメンタルで音数が少なく、コード進行やアドリブ、フィル・インのないものがほとんどだが、そういった(楽音の構造物としての)「音楽」とは言えないような“音楽”がそこでは価値を持ち、大勢のクラバーの前で堂々とした振る舞いで空間に溶け込んでいる。そこでは個々の楽曲は不定形で、イコライザーやエフェクターで加工され原型をとどめてないこともあり、複数の曲がどこで「つながれて」いるのかもわからないこともある。そういった空間でクラバーたちはずっと立ったままで長い時間のある意味での集中やある種の拘束を受け入れ楽しんでいる。クラブという空間では日常とは時間の流れる早さが違っているし、日常とは音楽に対する時間の感覚や音楽の聴き方、感じ方が異なっている。
DJはそこにいる。DJはフロアの中で注目を集め、クラブのフロアの空間をコントロールしている。DJは、レコードを再生しミキサーを操作している。だが、ヴォーカリストや楽器のソリストのように自身の身体を用いて常にその場で楽音を発信し、常に緊張を継続させたパフォーマンスをしているわけではない。DJによって表現されるシニフィエやテクストといったものは、DJという主体によってダイレクトに完全にコントロールされているとはいえず、その間にはある隔たりが存在している。だが、DJはそこでレコードをプレイし、確かに一定のある表現行為を行っている。しかし、そこで用いられる楽曲は自身で制作したものではないことが多いし、それ以前に用いられている楽曲の制作者の名前がそこではほとんど問題にならない。では、DJのプレイしているその音楽は彼の音楽と言えるのだろうか?それはオリジナルな表現行為と言えるのだろうか?その一方で、DJが再生する音楽はレコードを制作したアーティストの所有物や著作物だとも言いきれないようにも思える。
クラブでのパーティーにおける楽曲は、不定形で捉えどころが無く、制作したアーティストや曲名も判らず、時が経てばそれらの音楽の具体的な痕跡や記憶はほとんど失われてしまう。パーティーやDJのプレイの抽象的でおおまかな記憶は残るかもしれないが、ほとんどの個々の楽曲に対する具体的な感動とその記憶はどこかへ消え去ってしまう。クラブという空間ではコンサートやライヴ等の「プログラム」としての楽曲の聴取のようには楽曲は消費されてない。それは、クラブという特殊な空間の中で個々の楽曲は自律した「音楽」「作品」という形態が消失しているからだと考えられる。そして、それらの楽曲で構成されるひとつのDJのプレイやパーティーは、クラシック・ミュージックやポピュラー音楽や「コンサート」よりも存在が不定形で不安定なものであるように思われる。しかし、その一方で、ひとつのDJプレイやパーティーは「作品」とは言えないとしても、一定の形態は持っている。そうだとしたら、一人のDJのプレイや一晩のパーティーをどういうものとして理解すればいいだろうか?
そして、そういったパーティーの中でクラバーたちは一晩中ダンスする。ダンスすることで確かに音楽を積極的に享受し楽しんでいるようではある。だが、クラバーたちはDJのプレイするレコードのコンテンツとしての「音楽」を楽しんでいると言えるのだろうか?クラバーは「音楽」ではなく、大音量のサウンドのボディー・ソニックで刹那的な快楽を楽しんでいるだけだとは考えられないだろうか?
はたしてテクノは「音楽」なのだろうか?
テクノやハウスいったクラブ・ミュージックの楽曲や音盤の価値や意味のあり方は、従来のクラシックやジャズ、ポップス、ロックのそれとは大きく異なる。
クラシックやジャズ、ポップスなど様々な音楽ジャンルにおいても、楽曲や音盤の価値や意味のあり方に差異が存在と思われる。それは、まずその音楽ジャンルが何を「美」や価値とするか、何が醍醐味となる音楽であるかということがあり、それを表現するために音楽が実践される場、情報を伝達するメディアやジャーナリズム、音盤などのコンテンツの制作・販売のシステム、そして音楽シーンが形成され、音楽の実践と音盤の再生産を繰り返されることによって固定化されると言えるのではないか?
テクノにおける楽曲や音盤の価値や意味と音楽実践のあり方は、アーティストの名称が前面に出され、商品として徹底的にマーケティングされパッケージングされて、マス・メディアで情報が盛んに流通し。巧妙に計算され尽くしたアドバタイジングとしてのコンサートを行う「ポピュラー音楽」とは全く異なる。
テクノにおける楽曲や音盤の価値を、音楽が実践される場とそこでの体験、DJによる音楽実践のあり方、その音楽シーンの特徴とそれが形成されてきた歴史、音楽ジャンルが持つカルチャー、情報メディアのあり方、音盤の生産と流通などについて記述することで考察していきたい。
サウンドの音楽 —テクノにおける音楽の知識社会学—
□目的
クラブ・ミュージック・シーンは、ポップスやロックとは異なった独特な音楽シーンやカルチャーを形成している。その中で流通し、用いられる“音楽”は従来の「音楽」の概念では捉えられない特徴をもっている。テクノ・シーンにおける楽曲や音盤の価値のあり方とその形成を、多面的に記述し解明していく。
□構成
1.それは「音楽」なのか?
2.クラブという空間
3.テクノ・シーンの形成
4.インタラクティヴ空間としてのクラブ
5.“ダンス”する身体
6.ユース・カルチャーとしてのテクノ・カルチャー
7.ローカルとグローバルを接続する情報メディア
8.レコ堀とアーカイヴの構築
9.サウンドの音楽
10.DJingというパフォーマンス
11.テクノにおける「作品」と「作者」
12.現代のシリアス・ミュージック
□概要
ナイト・クラブでは、特異な“音楽”がプレイされ、DJがレコードを“パフォーマンス”し、クラバーはそれを受け入れ“ダンス”によってそれを能動的に聴取している。(1-2)それは、ディスコから発展した形態の施設であり、シカゴ・ハウスの登場によりクラブ・シーンが形成される。現在のテクノ・シーンのルーツはデトロイト・テクノであり、そこには“硬派な”イデオロギーが存在する。(3)
クラブは、インタラクティヴに音楽がパフォーマンスされる特殊空間である。テクノ・トラックは、ポスト・モダンな断片でしかないが、DJによるパロールの実践によって、「大きな物語」と「デジタル・アウラ」が現出する。(4)そこにおいて、クラバーたちは、“ダンス”によってイリンクスや至高性を体験し、身体性を回復させる。(5)「若者文化」の終焉の状況の中で、テクノ・カルチャーは、「聖」と「遊」が連関する最後の若者文化である。(6)フライヤーやインターネットによるメディアのパーティーの情報発信によって、そういったシーンは形成され維持されている。(7)
一方で、マス・メディアで情報が流通しないため、DJにとっては、レコード店で「レコ堀」をすることが重要な楽曲の情報源となる。流動的な市場の中から「ライブラリー」や「アーカイヴ」を形成することがDJの表現の基礎となる。(8)
DJが用いるトラックは、DJプレイに特化しブリコラージュ的な方法で制作される「サウンドの音楽」である。(9)それらをロング・ミックスによってプレイし、DJingを身体技法として習得することによって、DJプレイはパフォーマンスとして完成する。(10)そのパフォーマンスのためのウ゛ィニル・レコードの生産と流通によってテクノ・シーンは、独自のシーンを形成している。(11)
テクノは、独自の批評空間や音楽シーンをを有している、それは、「ポピュラー音楽」ではない。それは、現代の「シリアス・ミュージック」として存在している。(12)