あらすじとレビュー「スプートニクの恋人」村上春樹(講談社、1999)

あらすじ

すみれは僕の大切な友達だ。彼女は小説家になるために、大学を2年の時に中退した。そして、週末になると僕のアパートを訪れ、原稿を見せた。僕は彼女を愛しているが、彼女は僕に恋心を抱いていなかった。ある時、すみれは貿易商の女性、ミュウと出会い、ミュウのアシスタントとなり、すみれは小説が書けなくなった。

ミュウとすみれは仕事でフランスとイタリアに行き、その帰りにヴァカンスでギリシャのある島に立ち寄った。その島で、すみれは突然姿を消した。ミュウに頼まれた僕はギリシャの島へ行くが、すみれを見つけることはできなかった。そして、ある日、僕はフロッピーディスクからすみれが書いた2つの文章を発見する、、、

ブックレビュー

村上春樹の長編小説としては9作目で、『ノルウェイの森』『国境の南、太陽の西』に続く1999年に出版された恋愛小説の第3作目である。しかし、彼は今まで再び長編の恋愛小説を書くていない。また、この小説は、本当に、真剣に、情熱的に恋愛することができない、実存も現実性もない現代人を描いた、異色の恋愛小説である。

この小説は、すみれの物語であり、実質的な主人公はすみれである。この小説の前半の主な描写は、スコット・フィッツジェラルドの『華麗なるギャツビー』のニック・キャラウェイのような主人公の視点によるすみれについての描写と、主人公がすみれから聞いたミュウについての話である。すみれは、世界を見、自分を理解するための主人公のインターフェース、あるいは語り手である。そして主人公は、中立・公平な行為ではない物語を語り出す。そこには主人公による選択、選別、解釈がある。主人公は、ロラン・バルトの「作者の死」という概念のように、物語を解釈する読者の一人であると私は思う。

「スプートニクの恋人」という名前は、すみれが名付けたミュウの彼女だけの秘密のニックネームである。つまり、スプートニクの恋人がミュウ、スプートニク(ロシア語で「旅の連れ」の意味)がすみれである。すみれとミュウは、人工衛星やスプートニクのように、存在と現実と生き生きとした感情を失った存在である。鉄の殻に心を押し込められ、遠心力によって他者から遠ざかっていく。そして、すみれやミュウは、本当の感動や感情表現を芸術で表現することも演奏することもできない。この小説の中で、何度か「レズビアン(の愛)」という言葉が出てくる。しかし、それよりも、この小説は、女性のプラトニック・ラブや親密な友情を表現していると私は思う。

この小説のサブテーマは、書くこと、小説や物語を書くこと、そして物語と書くこととは何か、である。すみれと現代人(そしてこの小説が考える現代人)にとっての書くこと、物語とは、現実と自分、あるいは自分の心のギャップを埋めるための方法である。すみれにとって、小説を書くことは生きることであるが、現実性も、実存も、芸術家としての真の才能も、何も持っていなかった。ミュウは、優れたピアニストであったが、すみれと同様に真の才能は持っていない「向こう側」の存在であった。だから、すみれはその運命とミュウと会った経験によって、書きたい小説を完成させることができず、若くして消えていかなければならかった。

第5章の描写は、村上の文学的、哲学的な自己への反省と問いかけ、そして小説を書くことについての思いが込められていると思う。そしてこの小説は、すみれを通して主人公を、主人公からすみれを通して村上自身を映し出しているのである。主人公は部分的にすみれの物語の中で生きており、主人公の生きる意味はすみれの物語にある。つまり、村上はこの小説によって、主人公とすみれの物語を作り、生き、書き、彼の書くことの思考を暗示したのである。

そして、身体性、体現性がこの小説の鍵である。この小説の中で、村上の主人公は初めてスポーツをした。すみれとミュウは、身体性を失った人間であり、リアルな愛や性的な愛を感じることができない。それは、文学や文章には身体性が必要だという村上春樹の考えを暗示しているかもしれない。

私は、この小説が、村上の最初の恋愛小説『ノルウェイの森』にとてもよく似ていると思う。「ワタナベ-直子-レイコさん」と「主人公-すみれ-ミュウ」の関係性が似ている。また、登場人物の配置、物語と場所の構成、最後の電話、ピアノを弾くことを放棄したレイコさんとミュウ、実存を見失い情緒不安定な存在である直子とすみれなどが似ている。そして、『ノルウェイの森』は悲劇的で、湿気が高く、メランコリックである。それに対して、この小説は夢のようであり、明るく、カラッとしていて、爽やかである。だから、私は『スプートニクの恋人』は1969年から1970年あたりの物語『ノルウェイの森』の90年代版、だと思う。そして、そう言った物語の構造とその中の多くの要素がその内容や意味を作っているので、私はこの2つの小説に似ているようで異なる感情を感じた。

この小説は、村上春樹の佳作の一つであり、村上春樹独自のスタイルで書かれた、夢のようで素晴らしい、しかし不思議な「恋愛小説」である。

そして、この小説は、物語の構造と、登場人物、場所、観念といった要素の位置づけから作られる構造主義小説である。主人公は普通の(そして空虚な)人間だが、小説の構造と要素、それらの配置、そしてその中の彼の視点が物語と意味を作っている。一方で、この小説は、現代人の実存の無意味さを表現した実存主義的な小説であるとも思う。しかし、村上は、すみれがなぜ消えたかどこへ行ったかということや、物語や書くこととは何かといった答えを書かなかった。村上はそれらの答えを書かず、読者に問いや考えることを残している。

商品詳細

スプートニクの恋人
村上春樹
講談社文庫、東京、2001年4月13日
328ページ、748円
ISBN 978-4062731294

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