あらすじとレビュー『鍵のかかった部屋』ポール・オースター(白水社、1993)

あらすじ

ファンショーは私の親友だった。彼は頭がよくて、洗練されていて、印象的だが、ごく普通の少年だった。ハーバード大学を中退し、石油タンカーの乗組員になり、あの後、パリや南仏を放浪した。そして、小説、詩、ドラマ、ノートなど、多くの文章を書き残した。しかし、彼はそれらを出版しようとはしなかった。

アメリカに戻り、ファンショーはソフィーと結婚する。しかし、1年以内に原稿を出版すると約束した彼は、その3、4ヵ月後に突然、彼女の前から姿を消した。

ソフィーは、私にファンショーの原稿を出版するよう依頼した。すると、ファンショーの本は評判がよく、とても売れたので、本よりある程度のお金が入るようになった。そして私は、彼の本の出版のエージェントのような存在になり、彼についての記事や批評を書いた。そして、ファンショーの伝記を書くことになり、パリや南仏に行き、彼の痕跡を探した。そして、ファンショーを探し、ファンショーについて考えることに没頭していった、、、

ブックレビュー

この小説は、ポール・オースターの自伝的物語だと思う。この物語は、オースター自身の自己反省、あるいは自己確認の作品である。

オースターは、非常にハングリーな青春時代を反映し、タンカーに乗り、パリや南仏、ヨーロッパを放浪する姿をファンショーに反映している。語り手とファンショーのエピソードや来歴は、彼の自伝的エッセイ「空腹の技法」に登場する実体験に似ている。一方、作家となった後の年老いた彼の姿も語り手に映し出されている。

この小説は、語り手がファンショーの行方を探すというのがメインであり、表向きの物語である。しかし、この小説の真のテーマは、ファンショーの心の真意であり、今日の人間のアイデンティティとは何か、人生や書くことの意味と無意味さへの哲学的な問いかけ、物語を作ることの意味とその難しさである。

タイトルの「鍵のかかった部屋」とは、ファンショウが閉じこもった南仏のカントリーハウスの鍵のかかった部屋のことである。この部屋は、ファンショウの閉ざされた心のメタファーでもある。

ファンショーは語り手の分身、あるいはもう一人の自分であった。語り手はファンショーを追い求め思えば思うほど、自分自身あるいは自分のドッペルゲンガーを見るような難しさと複雑さを感じていた。そしてオースターは、その二人の人物に自分自身を重ね合わせた。この複雑さは、オースターがオースター自身を見るという自己言及的な行為から生じているのではないだろうか。

この小説は、前二作と異なり、探偵小説をモデルにしていない。しかし、この小説は、ファンショーの居場所と謎を探す「ハイド・アンド・シーク」の物語である。そして、語り手は、その行為を探偵のようだと言っている。だから、語り手はファンショーの行方を探る探偵であると同時に、ファンショーの心、本心を探る探偵でもあると私は思う。

そこには、ファンショー、語り手、オースターの三者の自己反省、自己肯定、物語りの構造が構築されていたと思う。語り手はファンショウのことを描写した。オースターは語り手(とファンショウー)についての物事を記述した。この自己反省の構造によって、この小説は、書くこととは何か、自己とは何かという答えのない問いを表現し、問うているのである。

この小説はとらえどころのない小説でもある。例えば、ファンショウの書くものの内容については記述がなく、答えも結果も行き先もない。また、この小説は書くことについての文章であり、書くことについての小説である。そして、ファンショーの赤いノートの言葉は、「彼らの最終目的は、お互いを打ち消すことだった」であり、この小説にもその概念は適用できる、この小説の内容は、お互いを打ち消すことなのである。つまり、答えも解決策もなく、矛盾した状態だけが残ったのだ。答えがないことが、この小説の答えであり、ニューヨーク三部作の帰結であるはずだ。

ストーリーテリングは非常に優れていてスリリングだし、書くことや存在についての哲学的考察も重要である。オースターは、自らの実体験をもとに、この美しく思慮深い物語を構成することに成功した。書くこと、生きることの価値、喜び、苦悩を見事に表現している。

商品詳細

ガラスの街
ポール・オースター
新潮社、東京、2013年8月28日
251ページ、550円
ISBN 978-4102451151

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