池田晶子さんが考えてきた様々な哲学的テーマについての問いや考察を14歳と17歳の青少年に向けて真摯に同時に優しく語り問う。それぞれの節は6〜8ページ程度。平易な言葉で特定の哲学者や哲学の学派の知識やタームを用いず、具体的ではないが例を挙げながら優しく青年たちに根本的根源的な日常的哲学的問題について語りかける。だが、漢字をあまり使わず優しく易しい言葉で書かれているので、大人にとっては却って読みづらい。また、特定の哲学・哲学者の知識をほとんど使わずに丁寧に説明をしているので文章が長い。だからこそ、一方で、池田さんの他の著作以上に、あるいは違った角度やテーマから、哲学の根本問題、最大問題に迫っている部分もあり、また、問いだけではなく、哲学のプロセスや根拠や例が示されていて、池田さんの答えや若い人と未来への希望、願いも書かれている、そして、感動的な部分もいくつかある(特に二部の後半)。
全体は三部に分かれ、一部では哲学の形而上学的な基礎的原理的な問題、二部では社会的応用的な問題を扱う。三部では17歳へ向けて現在問題になっている哲学的トピックについて易しく池田さん独自の考えを述べる。
最初の「考える 1–3」では、様々なことを「思う」だけではなく「考える」ことで、「正しいこと」=真理やコモンセンス、規順にたどり着くということがあること。「考える」ことを尊重することで自分も他者も自由になれるということ。その「誰にとっても正しいこと」、自分もみんなも生きていて考えているという不思議な感じを考えること=哲学を考えることが本当に生きることだと述べる。
「言葉 1–2」では、プラトンのイデア論、記号学、ヴィトゲンシュタインの言語ゲーム論的な観点から言葉の意味や抽象概念の不思議について提示する。そして、言葉が現実を作るのであり、言葉によって真剣に「正しい」こと「美しい」こと考えなければ、それらを知ること得ることはできないとする。
「死を考える」では、死は「有無」の不思議の問題であるから、死は無であり、無は無いから、「無いということ」は有るとも無いともいうことができる。人は死についてわかることができないと教える。
「心はどこにある」では、心は脳ではなく科学で捉えることはできず、どこにあるかわからない。心はある意味で人にとって全てである。心は「精神」と「感情」であり、精神によって考え、精神によって感情を観察することで自分であり自分でない心のあり方を考え続けることほど面白いことはないと述べる。
「社会」では、社会は人々の内にある観念であり物のように実在しない。社会はそれがあると思っている人々の観念が現実として現れたものに過ぎないが人々を規制する。社会は人々の観念が作ったものだから、社会を変えるには、人々の精神が変わり良くなるしかないとする。
「友情と愛情」では、孤独に耐えられない人がそれを解消するために求める友達は本当の友達ではない。孤独に耐え、自分を愛することができ、考えるという自分との対話をして哲学や思想を持っている者同士の友情こそ素晴らしいとする。
「宇宙と科学」では科学的宇宙物理学的な宇宙の存在の問題より、現象学的デカルト的な認識としての宇宙や物質の存在の謎が大切だとする。
「善悪 1–2」構築主義的な考察の一方で徳倫理学的な観点から善悪の相対性と本質性・絶対性について述べる。「よい」という言葉の意味は絶対に「よい」であるから、絶対に「よいこと」は存在し、それは人々の精神の中にある。
「人生の意味 1」では、宇宙には意味はなく、人生にも意味や理由はない。人生に意味や価値を求めることは人の誤りや弱さだが、宇宙の中で私の人生が存在することは奇跡であり、この奇跡を尊重し「有り難い」ことだと思うことが大切だと言う。最後に「存在の謎 2」では、その存在の奇跡の謎という絶対の真理を考えて生き続けること=哲学することの意義を述べる。
というように、本書は「哲学入門書」ではなく「哲学的思考の紹介書」であり、「哲学解説書」ではなく「哲学の本」であるので、だからこそ、本当の「哲学初歩」について書いている。様々な哲学的テーマについてクリティカルな哲学的センスで問いを発して、まだ思想が固定化する前の青少年に「言葉の意味の不思議」「自分や心とは何か?」「他者とその精神は本当に存在するか?」「社会や国家なんてあるのだろうか?」「「道徳」や規則は本当に正しいことなんだろうか?」「人生に意味や理由はない」といった哲学的で根本的な当たり前で不思議だが誰にでも関係する考えるべき問題を投げかけ、そして、池田さんの答えや願い、希望を伝える。
「現実は人々の理念が現れた者であり、理想を持っていれば現実は変わる、すでに変わっている」「人生の意味や目的を求めること自体が人生への覚悟がない証拠」「神は死を恐れ生の意味を求める人間がつくったもので、信じるか信じないのかという問題に過ぎずそれは存在しない」「死は無であり、無はないのだから、死を前提にして生きることはできない」など著者による論拠のない唯物論的実存主義的で独善的な決めつめも多い。だが、それを自分の精神で批判し考えることが哲学であるかもしれない。この本を哲学の理論や例を挙げながらさらに精緻に論証した著作を私は読みたい。
信じる前に考えて、死は存在しないと気がつけば、死後の存在など問題ではなくなるはずだし、死への恐れがなくなれば、救いとしての神を求めることもなくなるはずだ。そして、救いとしての神を求めることがなくなれば、にもかかわらず存在しているこの自分が、あるいは宇宙が森羅万象が存在しているのはなぜなのかと、人は問い始めるだろう。この「なぜ」、この謎の答えに当たるものこそを、あえて呼ぶとするのなら、「神」の名で呼ぶべきなのではないだろうかと。
この意味での「神」は民族や宗教によって違わないし、信じる信じないとも関係がない。なぜならそれは、自分や宇宙が「存在する」ということそのものだからだ。「存在する」ということは、信じることではなくて、認めることだ。それを事実として認めることだ。(p. 177)
商品詳細
14歳からの哲学 考えるための教科書
池田晶子
トランスビュー、東京、2003年3月20日
1320円、209ページ
ISBN: 9784901510141
目次:
- I 14歳からの哲学[A](1 考える [1]/2 考える [2]/3 考える [3]/4 言葉 [1]/5 言葉 [2]/6 自分とは誰か/7 死をどう考えるか/8 体の見方/9 心はどこにある/10 他人とは何か)
- II 14歳からの哲学[B](11 家族/12 社会/13 規則/14 理想と現実/15 友情と愛情/16 恋愛と性/17 仕事と生活/18 品格と名誉/19 本物と偽物/20 メディアと書物)
- III 17歳からの哲学(21 宇宙と科学/22 歴史と人類/23 善悪 [1]/24 善悪 [2]/25 自由/26 宗教/27 人生の意味 [1]/28 人生の意味 [2]/29 存在の謎 [1]/30 存在の謎 [2])
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『14歳の君へ どう考えどう生きるか』池田晶子(毎日新聞社)
『14歳の君へ どう考えどう生きるか』は『14歳からの哲学』の哲学的・根本的な内容と記述をより具体的で現実的・社会的な内容と記述として、分量としても表現としてもコンパクトに6章にまとめ、ある意味で分かりやすくかつ解りやすくし、学生・青少年への問いかけというより自身のエッセイとして書き直した本。内容は『14歳からの哲学』とほぼ変わらないのでどちらも読む必要はないです。『14歳からの哲学』の「考える 1–3」「人生の意味 1–2」「存在の謎 1–2」の哲学の根本的で原理的な思考や問題意識の記述が省かれていたり薄いことや、それらによって少年へ自分の精神で考えさせる方向性が弱いこと、哲学や哲学的思考を誤解する可能性もあることもあるので、私は『14歳からの哲学』の方を読むことを勧めます。
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