■『テレビの大罪』和田秀樹(新潮新書)
誤ったダイエットや健康の情報、災害報道のあり方、ヤンキー美化による教育否定、テレビの地方軽視と様々な意味での東京一極集中、短絡的な自殺報道による自殺増加、典型的な「高齢者」や介護のイメージ作りと一方での高齢者軽視などを取り上げ、テレビによる偏向報道や情報操作などの問題を指摘する。精神科医である筆者がそれらによって日本人に起こされている認知の歪みや思考の単純化を分析し、テレビが日本人を不幸にしている現状に警笛を鳴らす。
物事を極端に単純化しているテレビを信じるということは、自らの世界をひどく単純なものにしてしまうということです。つまり、脳のソフトがシンプルになってしまう。(中略)とりあえず単純明快な道徳律を信じ込んでしまうのです。(p.202)
テレビが日本人の知的レベルを落としているということは大問題です。しかし、見る人の心の健康を蝕んでいることこそが、テレビの最大の罪なのです。(p.205)
■『テレビに破壊される脳』和田秀樹(徳間書店)
『テレビの大罪』をより発展させた内容。
テレビは視聴者の判断力を低下させ、思考パターンを単純化し、恣意的な価値観を埋め込む。つまり、テレビは「脳のハード」は壊さないが「脳のソフト」を書き換える。
まず、著者は日本のテレビにおけるパチンコのCMや不安ばかり煽る震災報道、クイズ番組の「バカ礼賛」と思考力軽視、根拠がなく扇動的で画一的な報道とコメンテーターのコメント、といった問題、それらの原因になる少ないチャンネル数や商業主義、メディアの資本独占といった日本のテレビメディアの構造的問題を紹介する。そして、心理学や精神医学の知見を用いて、二分的思考、過度の一般化、「〜すべき」思考、情緒的理由づけ、レッテル貼り、といったテレビの内容と演出によって生じる認知や思考の問題を分析する。最後に、著者は人々がテレビをどのように見て、その内容をどのように考えればよいか、大人は子供のテレビ視聴に対してどのように対処すればよいかを示す。
テレビは視聴者の判断力を弱めて思考パターンを単純化し、さまざまなテーマに関して視聴者の考え方を一定方向に誘導して、世論を形成するだけの大きな影響力を持っています。(p.136)
テレビでは、物事を美化したり貶めたり、極端な決めつけが行われますから、それが正しいかどうかを判断するためには、世の中のさまざまな事実に敏感である必要があります。それを知らないと、テレビの論じる綺麗事に簡単にだまされてしまう脳になってしまい、権力者のいいように扱われ、世の中では生き残っていくのが難しくなります。(p.228)
■『テレビは見てはいけない 脱・奴隷の生き方』苫米地英人(PHP新書)
テレビと日常生活に溶け込んだ映像メディアが現代社会の最大の大衆洗脳装置であること、テレビの情報操作や背後の経営や権力関係の問題を取り上げ、テクノロジーの発展により誰もがテレビ番組あるいは映像コンテンツをつくることの可能性について提案する。
テレビをはじめとするメディアの「洗脳」によって、自分が生きるほんとうの目的を見失ってしまったり、他人に植えつけられた価値観や目標に縛られている人が、いまの日本には圧倒的に多い。(p.6)
人間は脳の進化によって、テレビに映し出される映像を見て、頭の中で仮想空間を感じることができるようになっています。そして人間の脳は、その仮想空間に対して、物理的な空間に対するときとほぼ変わらない臨場感を得ることができるのです。(p.22)
■『テレビジョン』ジャン=フィリップ・トゥーサン(集英社文庫)
ベルリンに滞在しながら新しい論文の構想を練るブリュッセル出身の古文書学者が、不意に思いついた「テレビを見ない」という決心をきっかけとして、日常の中で起こる様々な出来事、そこから見える生き生きとした現実感覚や世界観とその考察を繊細に描いた哲学的小説。
われわれの精神とテレビの画像とのあいだにはどんなささやかな交流も成り立たないし、テレビが提供する世界に向けてわれわれ自身の姿が投影されることもありえないのだから、われわれの心が協力を拒み、われわれの感受性と思考力との働きかけが途絶えるなら、テレビの画像はいかなる夢も恐怖も悪夢も幸福も決して生み出しはしないだろうし、いかなる躍動も高揚ももたらさぬまま、われわれの眠気を誘い、肥満を助け、精神安定剤の役割を果たすのみであるに違いない。(p.93)
テレビを見るのをやめることは、一個人のちょっとした決意にすぎないが、しかし同時に真剣な意見表示でもありうる。すなわち主人公はテレビから離れて初めて、いかにわれわれの日常が隅々までこの小さな四角い画面に支配されているかを如実に悟るのであり、その画面に背を向けることは一種の反社会的ふるまい、現代の文化に対する抵抗となりうるのだ。(解説より、p.225)
■『テレビは日本人を「バカ」にしたか? 大宅壮一と「一億総白痴化」の時代』北村充史(平凡社新書)
草創期のテレビの番組や視聴の実態、当時のメディア状況、大宅壮一の「一億総白痴化」という発言の背景や意図を考察し、それらを元に現在までのテレビとその番組のあり方を批評するメディア文化論。
大宅 とくにテレビなどということになると、全くこう愚劣というか、白痴的傾向が多いのです。なにか国民白痴化運動というようなね……(笑)。”何でもやりまショー”というような番組をみても、これほど徹底的に国民を白痴化するものはないね。(p.41)
米国の俗語では、テレビのことを「イディオット・ボックス idiot box」(おバカなハコ)という。「テレビが子どもに教育上悪影響を与えると考える大人が使う」とか、「テレビをよく見る人は通常より知的水準が低いという意味」などと辞書にはある。「ブーブ・チューブ boob tube」(トンマ管)ともいう。(p.158)
■『おテレビ様と日本人』林秀彦(成甲書房)
元ドラマ脚本家の著者による、贖罪の意味も込められた徹底的で扇情的なメディア論的文明論的テレビ批判。
■『テリー伊藤のテレビ馬鹿一代 テレビは日本人を”白痴”にしてしまったのか?』テリー伊藤(毎日新聞社)
テレビプロデューサー・タレントのテリー伊藤がバラエティー・情報番組・報道・スポーツなどの具体例を挙げてテレビの番組作りや演出、経営の裏側を暴く。メディア分析、メディア批評の本ではないです。