ハーモニカ横丁の光と影

 ハーモニカ横丁とは、JR吉祥寺駅・北口に広がる戦後の闇市の名残が残る商業地区一帯のことである。狭い範囲に90店の飲食店や居酒屋、雑貨店、衣料品店、生鮮食品店が密集していて、戦後から続いている鮮魚店や和菓子屋、40〜30年の歴史のあるバーや中華料理が点在し、空間全体にも猥雑で濃厚な雰囲気が漂っている。その一方で、そこに最近10年の間につくられた若者、特に若い女性向けのモダンでカワイイ雰囲気の個性の強いカフェや雑貨店、居酒屋などがカオス状態で混在するところがハーモニカ横丁の特徴であり、魅力であるとされる。  そこが“ハーモニカ横丁”と呼ばれるようになったのは、約二十年前で、狭い間口の商店が建ち並ぶ様子を見たマスコミが名付けた。そして、約十年後に、横丁の組合で正式にその呼称が採用された。[東京生活2004 no.1、:17] “ハーモニカ横丁”というものは、それほど長い歴史を持っているわけではない。  ハーモニカ横丁は、10年ほど前までは、時代遅れの店が集まり経営者や従業員も年をとり閉店をする店も多く、「シャッター通り」と言われ、路地を通るのは駅への抜け道として利用する人ばかりで、再開発計画も持ち上がり、取り壊され姿を消す寸前だった。[hanako 2004年3月24日号:12、散歩の達人2003 年2月号:36-37]  その状況を一変させたのは、現在、ハーモニカ横丁の代名詞になっているカフェ、ハモニカキッチンの登場だった。(ハーモニカ横丁は、「ハモニカ横丁」とも呼ばれるが正式名称は“ハーモニカ横丁”である。ハモニカキッチンについては、「ハモニカ」という記述で正しい。)  ハモニカキッチンを経営しているのは、「VIC」(ビデオ・インフォメーション・センター)というビデオテープなどのメディアやオーディオ機器を販売するショップを吉祥寺・下北沢に展開し、「外国家電」という輸入家電のショップも手がける手塚一郎である。[Webサイト フードスタジアム]  手塚は情報機器の市場の成熟や価格の過当競争に限界を感じ始めていた頃、何かおもしろいものを求めていて「カフェ」に行き着く。まだ、「カフェ」という概念が曖昧であった頃からそれを構想し、20代の女性が「ゆっくり」できて「甘いもの」や軽い「カフェ飯」がある「ママゴトの様な空間」を求める気分をつかみ取る。そして、1998年、ハーモニカ横丁にあったVICの2号店に2階に週末限定でオープンさせたのがハモニカキッチンである。手塚によると「青山や麻布では当たり前のことでも、この横丁でやれば面白いと思われるんです。」ということが狙いであるという。[同]  このハモニカキッチンは、見事に当たり、それが起爆剤となり、若い人が経営する個性的な飲食店や雑貨店がハーモニカ横丁に集まり、それらを目的に若者が集まるようになり、再び活気が生まれ、メディアでも取り上げられ、吉祥寺の街のひとつの文化や話題の中心となっている。  現在では、特に休日には若者とくに女性で横丁はいっぱいになり、ハモニカキッチンなどは満席になる。また、居酒屋では若者と壮年の男性と外国人が一緒に居酒屋や焼き鳥屋でお酒を飲むという光景が頻繁に見られるようになっている。  また、手塚一郎によるとハモニカキッチンなどの分かりやすい飲食店が、空間的にも価値観としても分かりにくいハーモニカ横丁がごく日常的に同居していることによって複雑さが増している。その「混沌とした空間」が他にない独特の魅力として、人々を引きつけているのは間違いないという。[同]  一方で、60年代から続く老舗のバーは、客が一人も来ない週もあり、月の売り上げでは、3万5千の地代は払えないという。パチンコ店が景品交換所に使いたいという申し出があったが、思い出が詰まった大切な場所は取り壊せないので断ったという。[朝日新聞東京総局、2005:15-16]  また、深夜は治安が悪く、ガラスが割られるのは日常茶飯事であり、警備会社から派遣される警備員は、少年たちに取り囲まれ殴られたこともある、という。放火事件やタバコの吸い殻による火事の危険もあり、「治安は年々悪くなってきている。」[同:17-18]  年配の商店主からは、「それじゃいけないんだ。建物も設備も限界。火事も怖い。生き残るためにも再開発は急務。」といった声が聞かれ、客からの「闇市の雰囲気を残して」という意見を排して、再開発を検討することを検討する動きもあるという。[同:14]  エドワード・レルフは、『場所の現象学』において、自らの直接経験による意味づけによって分節した空間を、「場所」として、大量生産と商業主義が深化した現代における多様な「場所」のあり方の消失、つまり「没場所性」について論じている。  お仕着せではない本来の場所であるための一つの指標が「本物の場所のセンス」である。それは、「個人および共同社会の一員として内側にいて自分自身の場所に所属すること」、そして「このことを特に考えることなしに知っていること」[レルフ、1999:165]とされる。  また、その「本物の場所のセンス」を理解するための指標の一つが、「無意識的な場所のセンス」である。それは、無意識的な場所づくりから生まれる。「そこからは、自然的、社会的、美的、精神的、およびその他の文化的要求の全体を反映し、それらの全要素が互いによく適合しあってるような場所が生まれやすい。」[同:168-169]  闇市とは、人々が非常に苦しい生活の中で、生活の必要に応じて無意識的につくられた本物の場所である。現代の計画的な都市計画や建築によってつくられた街とは異なる、濃厚なアウラが生じ、残るのは当然である。  しかし、現代社会においては、本質的に無意識的な本物の場所などほぼありえない。「大衆の価値観とマスコミュニケーションが支配する文化においては、大衆的流行や専門家によるデザインによって影響されない建物や場所は、わずかしかありえない。」[同:172]とレルフはしている。  元々、吉祥寺という街全体が、文化的なものやサブカルチャーによって無意識的につくられた場所だと考えられる部分もあるが、やはり個々の通りや建物は意識的に計画されたものだと言わざるをえない。だからこそハーモニカ横丁が貴重なのである。  ハモニカキッチンをはじめとする新しい世代による「意識的な場所づくり」[同:175]は、成功を収めている。吉祥寺にしかないオリジナルな体験ができ、新たな歴史や経験の地層が刻まれていくという意味では「場所」だといえる。  だが、吉祥寺という規模の大きな街に残るハーモニカ横丁は、結局、古くからあるお店は経営が厳しい、治安が悪く火災の心配が絶えない、横丁の方針をめぐって内部で対立がある、といった矛盾を抱えている。年配の人ほど再開発に対して賛成であるという「ねじれ」も存在する。  レルフは、欧米における郷愁を誘う昔ながらの街や景観の扱われ方について、「熱狂的に保護されていたり復元されてさえいて、かえってその偽物性を保証するものになっている。」[同:172]と述べている。この意見に従うと、ハーモニカ横丁の風情も、ハモニカキッチンのおしゃれな雰囲気も非常にキッチュなものに見えてくる。  ハーモニカ横丁は危ういバランスの上に成り立っている。その危ういバランスや歪み、キッチュさがハーモニカ横丁のダイナミズムやおもしろさなのかもしれないが。  ハーモニカ横丁は、決して「本物の場所」ではない。「闇市の懐かしさ」に「新しい若者文化」がプラスされたそれは、情報誌の情報をたよりにするだけでは、ポジティヴな面ばかりで批判する要素がほぼ見当たらない。だが、ハーモニカ横丁は、ラーメンテーマパークのように街並を人工的に再現するのではない、「本物を用いたテーマパーク」であるということが言えるのではないか。 □参考文献 『散歩の達人2003 年2月号』(交通新聞社、2003) 『中央線の詩』朝日新聞東京総局(出窓社、2005) 『東京生活2004 no.1』(えい出版社、2004) 『hanako 2004年3月24日号』(マガジンハウス、2004) 『場所の現象学』エドワード・レルフ(ちくま学芸文庫、1999) Webサイト「フードスタジアム」