「クラブに見る都市の若者のトライブ化 〜新木場agehaの踊らない“クラバー”たち〜」

新木場agehaで開催されるデトロイト・テクノのパーティーでは、いわゆる典型的な“クラバー”・ファッションに身を包んだ若者がフロアの隅の方で呆然として、フロアの様子を眺めている、という光景が見かけられる。
デトロイト・テクノで踊る若者、“クラバー・ファッション”の若者、この二つのカテゴリーの若者はクラブ・カルチャーやユース・カルチャーに精通しない「一般人」にとってはほとんど見分けがつかない。しかし、クラブというただ踊ることだけが楽しい、ある種ハッピーでanything goesな空間でなぜこういった亀裂が生じるのだろうか?この現象から都市の「トライブ」の問題について考察したい。
上野俊哉は、『アーバン・トライバル・スタディーズ』において、音楽やマンガなどの表現文化によって形成される「アーバン・トライブ(都市の部族)」を以下のように定義している。
「ある種の若者文化、サブカルチャー、都市の文化のなかに様々なかたちで存在する趣味やスタイル、身ぶりはそれぞれ小さな集団性、共同性を形成し、互いに影響しあったり、また文化的に、時には物理的に争ったりしている。このような感覚の共同性と、場合によってはある種の敵対関係によって成り立つ集団を、ちょうどアルカイックな社会において儀礼や信仰を共有する集団のカテゴリーになぞらえて、「部族」という言葉で呼ぼうということである。」[上野、2005:16]
また、「それぞれの小集団は自らを絶対的なものとして位置づけ、互いのライフスタイルにおいて対立しあう一方で、同時に異なるライフスタイルの間に一種の間に一種の「多文化主義」を成立させ、相対的な安定を築くことができる。」[同:17]という。
このことを言い換えると、若者たちは文化のサブジャンルの単位でトライブを形成し、その集団の中では共同性が成立するが、他のジャンルやサブジャンルの文化を好むものとは亀裂がありコミュニケーションが成り立たない、ということである。
では、デトロイト・テクノという音楽(のサブ・)ジャンルとそのトライブはどういう風に形成され、どういった特徴を持つと考えられるだろうか?
デトロイト・テクノはファンク・ミュージックやテクノ・ポップ、シカゴ・ハウスをベースに数人の黒人青年が発明した音楽であり、「テクノ」と呼ばれている音楽の実質的なルーツとなっている。それは80年代後半のイギリスのアシッド・ハウス(シカゴ・ハウスの一つの発展形態)のレイヴ・シーンで用いられるようになって注目された。だが、レイヴは大衆化する中で、派手なサンプリング・ビートを多用する、日本ではジュリアナ東京などで用いられたハードコア・テクノが、他の音楽を駆逐し大流行することになる。ハードコア・テクノのレイヴでは、犯罪が横行しドラッグが出回っていたという。こうしたハードコア・テクノに対する音楽的・風紀的な批判が、現在のテクノ・シーンに直接つながる「インテリジェンス・テクノ」やそれと重なる部分もある「デトロイト・リウ゛ァイウ゛ァル」の流れを産み出した。[増田、2005:19-27]
このインテリジェンス・テクノやデトロイト・リウ゛ァイウ゛ァルの情報が日本のクラブ・シーンにも伝わり、レコードが輸入されアーティストが来日することで日本のテクノ・シーンは形成された。
また、デトロイト・テクノは、クラブ・シーンではかなり「硬派なジャンル」だとされる。そのパーティーに集まるクラバーやアーティストにその自意識はないが。デトロイト・テクノやジャーマン・テクノと重なる、それらの「ハードなもの」であるハード・テクノとハードコア・テクノは名前は似ていても、内実は全く関係のない、ほとんど相容れないジャンルである。
このようにクラブ・シーンやテクノ・シーンというものは一体ではなく、ほとんどの傾向が全く異なる場合ジャンルどうし・サブジャンルどうしは、激しく対立し、音楽やカルチャー、人に全く共通項や交流がない。例えば、上野俊哉の描くサイケデリック・トランスのシーンと、増田聡の描くデトロイト・テクノのシーンは全く共通項のない別個の音楽シーンである。同じテクノ系レコード店、ハウス系レコード店でも、店によってどんなサブジャンルを専門とするかで全く共通項がない場合がある。
デトロイト・テクノとその周辺のサブジャンルのテクノが行われるクラブは、マニアックラブ(青山、現在は閉店)、WOMB、module(渋谷)、AIR(代官山)、新宿にあった頃のリキッド・ルームである。つまり、テクノのパーティーが行われるのは実は渋谷を中心とするごく狭い地域のクラブである。また、テクノ専門のレコードショップは渋谷の宇多川町周辺に集中する。
テクノという同じジャンルのパーティーでもクラブ(のある地域)によってそこに集まるクラバーの雰囲気やパーティーの雰囲気が異なる。一方で、パーティーの音楽ジャンルとそのサブ・ジャンルによってもクラバーとパーティーの雰囲気は異なる。この現象から同じクラブへのリピーターと同じ音楽ジャンルのパーティーへのリピーターが存在することが予想される。
また、「デトロイト・テクノとジャズが好き。」「デトロイト・テクノは好きだけど、ハウスは聴かない。」というようにクラバーたちには音楽の趣味のレンジがある。クラバーは複数のサブジャンルのトライブに参加することもあるし、その興味のあり方は不定形で特に近接するジャンルに対して緩やかなものだという面もある。
デトロイト・テクノは音楽に対応するファッションが存在しないサブジャンルでもある。
一般にイメージされるクラバーの外見とは以下の様なものだろう。男子は、キャップを斜めにかぶり、ぶかぶかのスウェットとバギーパンツに、バスケットボールシューズを着用し、常に挑発的な態度をしている。女子はフロントホワイトのキャップにキャミソール、フレアのローライズジーンズ、それにミュールを履き金髪のロングヘアで身体は細いといったものだろう。だが、このイメージは、ヒップ・ホップやレゲエに代表されるクラバーのイメージである。
デトロイト・テクノ系のパーティーでは“クラバーらしい”若者はまず見かけない。特定のファッションのスタイルがなく、ファッションにまとまりがない。特に、渋谷moduleのデトロイト系のパーティーでは、ファッションに気を使わない“ダサイ人”をよく見かける。デトロイト・テクノの」パーティーは一般にクラブについてイメージされる様な「オシャレで大人っぽい場所」でもない。
では、新木場agehaはどういった位置や系統にあるクラブなのだろうか?
まず、agehaは、芝浦GOLDのメインスタッフのひとりが立ち上げた、その系統に属するクラブである。GOLDは日本初の大箱(大規模なダンスフロアを持つクラブ)であり、ハード・ハウスを中心としてタイムタグなく海外のクラブ・カルチャーを移入し、80年代後半から90年代中盤に日本のクラブ・カルチャーの発展と定着に大きな影響を与えたクラブである。[湯山、2005:246-248]
その一方で、ウォーターフロントのクラブはハードコア・テクノを用いたでぃすこであるジュリアナ東京の系譜にも属する。[同:250-251]
agehaでは、普段はDJ EMMAやテイ・トウワといったメジャーなハウス系のDJをメイン・イウ゛ェントとする様なパーティーやヒップ・ホップやレゲエ、ハードコア・テクノに近い音楽ジャンルであるトランスのパーティーが行われている。その中で、agehaは東京で数少ない大箱であり、音響的にも優れていることから、数ヶ月に一度デトロイト・テクノやその周辺のジャンルのパーティーが行われる。
冒頭に記述した現象は、agehaというクラブへのリピーターが情報をよく調べずに音楽性もそれを取り巻くカルチャーも全く違うデトロイト・テクノのパーティーに足を運んでしまったために起きる現象だと考えられる。
「若者文化の終焉」[小谷、2005:233-236]によって、ユース・カルチャーにおける表現ジャンルや文化ジャンルは「島宇宙」化している。若者の興味の対象の範囲はそれぞれ細分化され、それを共有しない他者にはほとんどその人の趣味が理解不可能であり、さらに「その人」が理解不可能だということにもなっている。
上野俊哉は、「トライブという区切り(分節化)は、対立する他者を、理解できないまでも、言わば「緩い敵対関係」を通してぎりぎりのところで対立するかもしれない他者の存在までは認めることを求めている。」としている。
つまり、異なるトライブに属するクラバーは日常では「クラブ好きな人」ということで多少のコミュニケーションが成立する可能性があったり、お互いに一目置くかもしれない。しかし、クラブという場では、アイデンティティのよりどころとする音楽においてやはり対立してしまうのである。そして、アイデンティティのよりどころにするものが異なるということは、ディープなコミュニケーションの成立が困難であったり、成立しえないのではないだろうか?
トライブという概念を通して、趣味や文化、スタイルの共同性と対立が中心となった、現在の若者のコミュニケーションのあり方を理解することができる。
□参考文献
『アーバン・トライバル・スタディーズ』上野俊哉(月曜社、2005)
『若者たちの変貌』小谷敏(世界思想社、1998)
『その音楽の<作者>とは誰か』増田聡(みすず書房、2005)
『クラブカルチャー!』湯山玲子(毎日新聞社、2005)