「テクノの自己完結性と自律性」

テクノという音楽は、ディスコ指向のソウル・ミュージックから発展した4つ打ちのビートを特徴とするダンス・ミュージックであるハウス・ミュージックに強い影響を受け、1987年頃にデトロイトで誕生したものである。
テクノはクラブでかけられるクラブ・ミュージックであり、クラバー(クラブへ通うオーディエンス)を踊らせることに特化した音楽である。その特徴は、ほとんどがシンセサイザーやリズムマシンの機械的な音で構成され、ヴォーカルが入らず、同一のフレーズやビートの反復などである。(音楽資料1、2)また、その楽曲の制作は、コンピュータやシンセサイザーを用いて、低いコストで、その過程のほぼすべてが一人のアーティストによって行われる。(両方で評価されていると限らないが、多くのアーティストは同時にDJでもある。)
レコードやCDで商品化されるテクノの個々の楽曲は、確かに単一の作品としてディスクに収録され、一定の自己完結性を持っている。だが、曲は冒頭から盛り上がった状態で始まったり、フェードアウトで突如終わったり、あまり自律した単一の作品として曲は制作されていない。家庭のオーディオで単独で楽しむことを想定して作られてはいない、と思われる。それは、クラブにおいて「音楽のコミュニケーションへの参加者が内的な時間の流れを共有していると感じている状態」である「ノリがいい状態」[小川、1988:79]を作りだすことに、その目的が特化されているからである。
では、クラブ(ナイト・クラブ)という場では、どのようにその音楽が用いられているのだろうか?
クラブのダンスフロアでは、開店から閉店まで(22〜23時から5〜7時まで)、DJによって常に大音量で音楽が流され、クラバーは休みを取りながら一晩を踊り明かす。また、ダンスフロアは薄暗く、様々な照明技巧が凝らされることで、さらに音楽の雰囲気を盛り上げられる。一人のDJの持ち時間は2〜3時間で、交代してプレイしていく。DJは、2台以上のターンテーブル(DJ向けのレコードプレイヤー)を用い、曲を途切れることなく再生させていく。(音楽資料3)
DJはその場で音を加工し、様々な曲によって一つのプレイを構成し盛り上げていくことによって、そこで流される音楽は単に曲を再生させる以上の価値を持たせる。DJのかける音楽とクラバーは、相互に反応を起こしてさらにダンスフロアの雰囲気は盛り上がっていく。椹木野衣はそのことを、クラブ・ミュージックは、「ナイト・クラブという刻一刻情報量を変化させる特殊空間においてのみ成立し、そして夜な夜な集まってくるクラバーのパフォーマンスとの寄せては返すようなエクスタシーに満ちた一体感においてはじめて完成される。」[椹木、2001:234]と表現している。
クラブで流される曲は、ほとんどの場合、そのアーティスト名や曲名は分からない。DJの再生するレコードは、流通量が少なく、またマスメディアで楽曲を直接聴くことができないので、自分がレコードやCDを所有していて、聴き慣れている曲でない限り、曲のアーティスト名やタイトルを知ることはできない。テクノでは、むしろその時その曲が気持ちいい「ノリ」を作り出しているかが問われる。テクノでは、レコードやそのレコードのアーティストの有名・無名は問われない。アーティストの匿名性が高く、「作者」の存在は見えてこない。
その一方で、作者や曲名が認知されているアンセム・ソングというものがある。アンセムの元々の意味は賛美歌で、クラブ・ミュージックにおいては、クラブ・シーンのヒット曲で多くのDJによって長期にわたって頻繁に使用された特別な曲のことをいう。フロアの雰囲気を変えてしまう印象的なものが多い。(音楽資料4)それは、クラブ・カルチャーの中でクラバーたちの「常識」となり、CDや専門誌、口コミによって曲名やアーティスト名が知られることでさらに定着することになる。アンセムは、DJが交代した直後やイベントの終盤でかけられ、フロアの雰囲気を活性化させる。
アンセムを効果的に付くことを含めて、曲がクラブという空間でDJによって再生されることによって、DJのひとつのプレイや一晩のイベントは、「作品」としての自律性、自己完結性を持つことになる。
メジャーな音楽シーンに受け入れられないテクノは、独特の流通・販売の方法をとる。そのことによって、アーティストの自立とクラブ・シーンに適合する自由な表現活動が可能になる。
レコードは、アーティスト本人と少数のスタッフによって運営される小規模の制作・販売会社(レーベル)によって、世界中のクラブ・ミュージック専門のレコード店へ流通される。その一方で、一部の著名なアーティストは、メジャーなレコード会社と契約し、CDを一般のCDショップで発売している。
レコードに関するレヴューは、雑誌で読むことができるが、ラジオをはじめとするメディアで直接楽曲の内容を聞くことはできないので、楽曲に対する情報は限られている。DJやテクノの愛好者はレコード店で、ジャンルの分類やポップアップ、既知のレーベル名を頼りにしつつ、未知のレコードを発掘していく。レコード店でレコードを探すことは、棚に置いてある大量のレコードを世話しなく捲っていく様子からも由来しているのだろうか、「レコ堀」といわれている。そして、「レコ堀」して見つけたレコードは、レコード店に設置されているターンテーブルで試聴できる。その試聴の方法が独特で、彼らは最初からレコードを再生するのではなく、曲の途中に適当にレコード針を落ながら10秒程度試聴する「DJ聴き」と呼ばれる方法で試聴する。曲の全体を聴くのではなく、曲の「ノリがいい」かどうか素早く確認するためにそういう方法で試聴するのである。
テクノという音楽では、クラブでその音楽の「いいノリ」が体験できることが第一義とされる。曲がレコードやCDにおいて自律的であるよりも、DJがプレイする時に自律性や自己完結性が付与されることを想定して曲が制作される。その自律性や自己完結性を生み出す大きな要因のひとつは、アーティスト、DJやクラバー、クラブという空間、流通のシステムといったものの関係性である。
*参考文献
『音楽する社会』小川博司(勁草書房、1988)
『増補 シミュレーショニズム』椹木野衣(ちくま学芸文庫、2001)