10.1.テクノDJは何をしているのか?
DJはそういった特徴をもつ楽曲を用いて、DJミックスを行い、ひとつのDJプレイを構築していく。
テクノやハウスのDJは、2台以上のターンテーブル(DJユースのレコード・プレイヤー)とDJプレイに特化したDJミキサー(ディスコ・ミキサーとも呼ばれる)を用いて、長い時間、複数の音源を同時に再生しミックスする「ロング・ミックス」という手法を用いて楽曲を途切れさせずにつなげていく。一つの音源の再生時に、DJミキサーのモニタリング機能を用いて、別のターンテーブルで再生される音源をモニターする。モニターをしながら、まず楽曲の相性を確認し、ターンテーブルのピッチ・コントローラーで現在再生されている音源と楽曲のテンポを合わる。1小節や4小節、8小節ごとの先頭のビートの直前にレコード針を合わせる「頭出し」を行ってレコードを押さえて準備をし、現在フロアで再生されている音源の(曲によってはフィルインの直後の)小節の先頭のビートの直前でレコードを手から離し、ビートを同期させる。しかし、まだ完全に同期していなかったり、テンポに微妙なずれがある場合は、ターンテーブルの回転部の側面のプラッターを軽く触ったり擦ったり、レコードを少し触れることで、同期を調節していく。テクノやハウスのDJは、ヒップホップのDJのようにレコードの盤面を触らずにレーベルの部分やレコードの側面を触れてレコードを扱う。テクノのDJは、イコライザー、特に低音部を調節しながら、縦フェーダーをフェードイン/フェードアウトさせ、スムーズに長時間のミックスを行う。一枚のレコードが単独で再生されているのは通常2〜4分で、ミックスしている時間が30秒から1分である。ジェフ・ミルズなどのミニマム・テクノやハード・ミニマムのDJは、3台以上のターンテーブルを用い、早い展開のミックスや「3枚がけ」と呼ばれる3つの音源のミックスを行う。2つの音源でのミックスしか行わない場合でも3台のテーブルは、あらかじめピッチを合わせておくための予備やトラブルがあったときのスペアとして用いられる。
機材や音楽の表現に対応した独自の所作やテクニックを含めて、クラブ・ミュージックのコンテクストの中でのこういったDJプレイは、「DJing」と呼ばれることがある。(図10-1)
10.2.Djingという身体技法
親指と人差し指で交互に素早く軽く押してスムースに縦フェーダーを上げ下げする。指先でフェーダーを軽く叩いて僅かに動かす。ミキサーのイコライザーのつまみを、センターを狙いながら、一気に回す。ヒット音に合わせてイコライザーのつまみを回す。頭出しの際にレコードを前後に動かし、タイミングをはかってレコードを離す。レコードの同士のビートのズレを補正するためにプラッターの側面を軽く触ったり擦ったりする。DJは、これらの所作やテクニックをDJingの中でほとんど無意識的に行っている。(図10-2)
楽器の演奏には、無意識のうちに楽器を身体の一部として統合することが必要である。市川浩は、ピアノの演奏能力の習得についてこのように述べる。「ピアノを弾く人は、ピアノの鍵盤を身体図式のうちに組みこみ、ピアノ曲の解釈の歴史、演奏法の伝統をも潜在的な身の統合のうちに包みこんでいる。身は解剖学的構造をもった生理的身体であると同時に、文化や歴史をそのうちに沈殿させ、身の構造として構造化した文化的・歴史的身体にほかなりません。」[市川、1993:58-59]同様に、DJもターンテーブルやミキサーといった機材を練習の積み重ねによって身体のうちに組み込み、歴史的に構築されてきたDJingを身体化することで表現を行っている。
Djingの所作やテクニックは、道具の形状によって形成されたり独学によって形成されると考えられる側面もあるが、だが大部分は、実際にDJのプレイを見たりDJプレイの方法の情報を知ったりということの影響によって形成される。DJプレイに関する情報を全く知らなければターンテーブルとDJミキサーがあったところで誰もDJプレイはできないだろう。DJingは、「人間がそれぞれの社会で伝統的な態度でその身体を用いる仕方」[モース、1973:121]であり、「身体技法」である。
そのDJingという「身体技法」の習得について考えるには、「暗黙知」の議論と「アフォーダンス理論」が手がかりとなる。
科学哲学者のマイケル・ポランニーは、人間の知識について「我々は語ることができるより多くのことを知ることができる、」[ポラニー、1980:15]とし、この言葉に置き換えられない総合的な知識のあり方を「暗黙知」と名付けた。暗黙知は、能動的な活動の中で実践的な知識と理論的な知識が統合されることによって形成される。
技能は筋肉の個々の要素的な諸活動が、諸活動が共通に奉仕している目標の実現への集中、つまり筋肉活動の集合についての感知のよって実行される。暗黙知は、諸細目や事物の集まりを包括的存在として統合して、これを内面化することによって獲得される。ピアニストが指に注意を集中させるすぎることは演奏の技能を損ねてしまう。ピアニストが音楽に心を寄せながら、全体相の諸部分やパターンの細部が遠くから眺められることでピアノ演奏は可能になる。ピアノの演奏は、演奏の動作と楽譜の記憶や読譜を包括的存在として統合して内面化することによって可能になる。[同:19-36]また、暗黙知による対象の知覚は身体の参加であり、知識の獲得は身体の世界への拡張でもある。[同:51]
また、知覚心理学者のジェームス・J・ギブソンは人間の活動の可能の問題に対して、知識は「特定の生体との相互依存関係もつもの」としての「環境」自体の中に存在している、という考え方を提案した。ものごとの知覚は、この生体と環境とが相互依存しあって立ちあわれてくる。知覚は、環境の中の事物の属性、つまり外界がその生体の活動を誘発したり方向付けたりする性質を直接に引き出している。ギブソンは、「生体の活動を誘発し方向づける性質」を「アフォーダンス」と名付けた。[佐伯・佐々木 編、1990:10-11]
複雑な技能の習得とは、一つのモノとの徹底的な関わりのうちに、次々に新しい活動が誘発され、それに伴って新しいアフォーダンスが引き出されるという相互関係の全体が拡大していく。自動車の運転は、様々な装置と運転者の活動との間に生じる「アフォーダンスと活動の膨大な連携関係の流れ」の形成によって可能になる。ある道具や装置の操作をマスターしたというのは、「道具や装置と人間とが一体となって、適切なアフォーダンスを引き出せる」ということである。「技術が熟達する」ということは、「体をどう動かすかということ」を外界の操作対象のどこに、どう働きかけようとして、体全体でどう向かわせるかを習得するということである。[同:13]
DJプレイのテクニックは、練習の積み重ねによって機材の物理的な操作とサウンドの変化が有機的に結びつき包括的存在となり暗黙知として習得される。DJはターンテーブルやミキサーと一体となり、適切なアフォーダンスを引き出せることでクラブというリアル・タイム空間に応じた臨機応変なプレイが可能になる。
アフォーダンスを引き出す道具としてのターンテーブルやミキサーは、DJにとって身体の延長とも言えるものである。その中でもターンテーブルは、テクニクス(松下電器のオーディオ・ブランド)のSL-1200シリーズが、シンプルなデザインと操作性の良さ、プラッターの立ち上がりの早さ、堅牢性や耐久性、それらによる絶大な信頼性によって、世界中のほぼすべてのクラブでディファクト・スタンダードになっている。
コウ木村は、初心者の機材のセレクトに対して次のようにアドバイスする。「あと、ターンテーブルは絶対テクニクスのがいい。だってクラブでこれ以外を使っているところはほとんどないからね。SL-1200MK3です。」[relax 1997年9月号:13]「とにかく最初お金がなくっても、ターンテーブルだけはテクニクスのものを買うのがポイント。ほかのものは買い替えても、ターンテーブルだけはみんなずっとおなじものを使っているからね。」[同:13]田中フミヤがSL-1200を気に入ってる理由は、「シンプルだし、使い慣れているから」[同:12]だという。また、DJ MOODMANによると「ターンテーブルはジャンルにかかわらず、テクニクスのSL-1200でしょう。基本性能がしっかりしているし、クラブもほとんどコレだから選択の余地なしです。」[relax 1998年1月号:7]という。テクニクスの開発者は「DJからは“楽器として手になじんだものを変えないでほしい”と言われる。それでも、彼らのプレイスタイルがどんどん進化していくので、それに合わせて改善できるポイントを探して盛り込んでいくんです」と発言している。[GROOVE AUTUMN 2004:77]
「ターンテーブルにはプロ用、初心者用などの区別はありません。安い物を購入して、後で結局高くついてしまったなんて事、よく聞きます。」[M.KATAE、2007:11]というように、SL-1200シリーズは、初心者でも初めに購入するアイテムである。世界中のDJが所有し長期間、愛用していて、ピアノやヴァイオリンのような伝統ある固定された形態と演奏方法をもつ“楽器”であり、DJの身体の延長とも言えるものとなっている。
レコードが物質としてある事のアフォーダンスも重要である。
DJは、レコード・ケースの中でレコードを並べ替えたり、使い終わったレコードやその日のプレイでは使いそうにないレコードをバッグの後ろに回したり、レコード・ジャケットをケースに「斜め掛け」することによってチェックする、といったことを行うこのアフォーダンスを利用して、DJはDJプレイの流れを構想し選曲を行っていく。
ハウスDJのサトシ・トミイエは、アナログ・レコードのメリットについて以下のように述べる。「レコードだとイメージで覚える。ジャケの色とかステッカーがどこに張ってあったとか。」[GROOVE SPRING 2005:33]DJは、レコードのレーベルのデザイン、ジャケットのデザインや質感、ジャケットに張られているステッカー、レコードの厚さやエッジのカットの形などをそのレコードのコンテンツである楽曲と結びつけ記憶している。物質としてあるレコードとレコードのコンテンツとしての楽曲が暗黙知として結びつく。また、次に掛けるレコードをターンテーブルの下に置いておく、といったことも、DJプレイのためのアフォーダンスとして重要である。
クラブ・カルチャーでは、アナログ・レコードは「ウ゛ィニル」「アナログ」と呼ばれ、特にヒップホップでは「バイナル」と呼ばれている。つまり、それは特別な意味、そしてアウラを帯びている存在である、ということである。
レコードというメディアがテープ・メディアとは違って、直接さわって回転調節したり、薄い円盤で扱いが容易であるといったような、物質としてあることがDJプレイを産み出したと考えられるが、DJ用CDプレイヤーやコンピュータ用のDJソフトが販売されている現在でもDJはアナログ・レコードにこだわり、クラバーもターンテーブルとアナログ・レコードによるDJingを求めている。
ターンテーブルによるDJingは、ピッチ合わせや楽曲の再生の終了について常に配慮を行わなければならず、不安定で不確定な要素が存在するが、それらがDJとクラバーに良い意味での緊張状態やDJプレイ独特の間を生み出す。
また、練習とクラブという現場での経験を積み重ねて、身体と知識が暗黙知として形成されて、ターンテーブルとミキサーを身体化し、DJingを身体技法としてマスターしているDJのアナログ・レコードでのDJプレイは価値ある表現や美しいパフォーマンスになる。
レコードでDJプレイをすることの価値や存在感についてセオ・パリッシュは以下のように述べている。「“今でもレコードを買うよ”というだけでは不十分だ。それをプレイしろよ!プレイしなきゃ意味がない。買うだけじゃだめさ。それはアートコレクターと同じだ。それを他人に見せてあげなければ持っている価値が無い。レコードをプレイしているところを見せることが重要なんだ。」[GROOVE AUTUMN 2007:36]
ケン・イシイはアナログ・レコードでDJをする理由について、こう述べている。「でもパソコン1台でDJするのっていうのも見ていて面白くない。どうしてもDJの動きが小さくなりますからね。やっぱり今、普通の人はレコードなんて買わないだろうし、お客さんはDJに何か特別なことを求めていると思うんです。」[GROOVE WINTER 2007:59]
テクノのDJは一般に言われるようなヒップホップ的ないわゆる“DJ的な”スクラッチや頭出しの操作はほとんど行わないが、疾走する競争馬を乗りこなすようにグルーヴを自在にコントロールする。DJが「ディスク」や「グルーヴ」の「ジョッキー」になる。
10.3.進化するDJプレイ
シーンの誕生から現在までDJプレイは進化し、パーティーは洗練されたものになっている。その最も大きな要因はシーンの継続による利用できるコンテンツとしての楽曲の蓄積、それにジャンルの多様化によりDJプレイのテンションや構成に幅がうまれたことだと考えられる。その次の要因として考えられるものはDJエフェクターの開発と普及やCDターンテーブル、DJソフトなどのテクノロジーの進化である。
ターンテーブルはDJカルチャーの中で長い歴史を持ち、機材として絶大な信頼性があり、ターンテーブルでアナログレコードをプレイすることにまず音質の面で、そして“哲学”やパフォーマンスとして強いこだわりをもつDJもいるが、その一方でいくつかのデメリットもある。
クラブ・ジャズのDJ、大沢伸一は、「アナログレコードはあまりにもクラブの環境に左右され過ぎる。振動やハウリングの問題のほか、針との相性で著しく音が変わったり、そういうことが結構続いて懲りていた部分もあったんですよね。」[GROOVE SPRING 2005:52]というように、アナログ機材としての不安定さを指摘している。
また、ターンテーブルでのプレイでは大量のレコードを持ち運ぶ必要がある。サトシ・トミイエは「レコードの場合は量が多いので、飛行に乗るときに半分くらいは無理やり機内持ち込みにしたとしても、あとの半分は預けるしかない。すごく手間だし、ひどいときは届かなかったりすることも。」とレコードのデメリットについて説明している。ジョシュ・ウィンクは「レコードはもう使っていないのですか?」という質問にこう答える。「今でもたくさん買うけど、現場ではそれをCDに焼いてかけているんだ。やっぱりCDケース一つでいろんな場所に行けるのは便利だからね。レコードを持ち運ぶと移動途中に行方不明なったり、税関で面倒なことになったりするから(笑)。」このように、アナログ・レコードは非常に重量や容積があり、世界中をフライトで移動するDJにとってはそれが大きなネックとなる。一人で一度に70枚以上の枚数を運ぶことは難しく、DJプレイの幅を狭めてしまうことにもつながる。
ターンテーブルとレコードに代わるメディアとして用いられるのが、DJ用のCDプレイヤー=「CDターンテーブル」とCDである。CDターンテーブルのディファクト・スタンダードになっているパイオニアCDJシリーズは、ほとんどのクラブで標準で設置されている。テクノの音源は、ほとんどアナログ・レコードでしか流通されないので、CDをプレイに用いるDJはアナログ・レコードの音源をDAW上に録音し、それをCD-Rに記憶させたものを現場に持ち込みDJを行っている。
フランスを代表するベテラン・テクノDJ、ローラン・ガルニエはCDターンテーブル中心のプレイを行っているが、「アナログオンリーのDJプレイにこだわりはない?」という質問に対して、「確かにアナログは大好きだ。でもDJとしての僕の仕事は、アナログにこだわることじゃなくて“音楽をプレイすること”なんだ。CDを使っているのは音楽のクオリティや選曲の広さを重視した結果で、僕はアナログよりもCDのサウンドの方が断然パワフルだと思う。」と答えている。[GROOVE WINTER 2007:89]このようにアナログ・レコードの音質よりもCDによるデジタルの音質を好み、安定性や幅広い選曲の可能性、モビリティを重視してCDターンテーブルのプレイに移行するDJも増え始めいてる。
CDにはアナログ・レコードにあったような物質的な差異がないが、DJはそれぞれ独自の工夫によって、アナログ・レコードのような選曲のためのアフォーダンスを持たせている。ローラン・ガルニエは、CD-Rをそれぞれ紙ジャケットに収納して、レコードのように扱えるように工夫している。「僕は一枚一枚それぞれCDケースに入れて、その紙ジャケットに曲名を書き込んで管理しているんだ。さらにCDごとにBPMや“ファンキー”などの言葉で曲の雰囲気を書き込み、すぐにイメージを思い出させるようにしているね。僕はブック型のCDフォルダーが好きじゃないから、DJのときはレコードと同じようにCDケースを一枚一枚ボックスに入れて選んでいるよ。」[GROOVE WINTER 2007:89] このようにすれば、レコードのように一枚づつめくって入れ替えて音盤を探しボックスの中で並べ替えることができる。また、サトシ・トミイエは、このように工夫してCD-Rでの整理を行っている。「でもCDだと曲名を覚えなちゃいけない。少しでも分かりやすくするために、曲のタイプ別にインデックスを色分けして、時期も検索のヒントになるので“いつに焼いたか”ということが分かるようにしてあります」[GROOVE SPRING 2005:33]というように、特徴を与えることで、アーカイヴに構造を持たせて検索を容易にしている。
さらにDJがCDターンテーブルを用いる理由はその独自の機能を利用することと、DAWによって自作の楽曲をすぐにCD-Rに記憶させることができたり、既存の音源をあらかじめエディットできるというメリットがあるからである。ローラン・ガルニエは、CDターンテーブル独自の機能のメリットをこのように説明する。「ループを組んでおいて、ピークタイムにすぐ出せるところだ。テンポ合わせはもちろんしないといけないけど、ピッチの可変幅が広いからどんな曲でもループさせて違う曲に乗せることができる。それから3分のエレクトロの曲の中から好きな場所をCUEポイントに記憶して、何度かリコールすることで10分近いロングプレイをやったことがある。(中略)好きな部分だけ何度も繰り返せるのがいい。それからCUEボタンを連打して、曲の頭を“タッタッタッ”ってやったりしてね(笑)。」[GROOVE WINTER 2007:89]CDターンテーブルにはループポイントを指定してその部分を繰り返す機能があり、これによって、楽曲のテンションの高い部分を維持したり、ブレイクの部分をループさせることでサウンドがぶつからないように工夫して楽曲をつなげることができる。CUE機能とは、頭出しのために記憶させておいたポイントから即時に再生させる機能である。CUEボタンを押すたびに、楽曲の指定の箇所をトリガーすることができる。この機能を利用して、楽曲の特定の部分を効果音的に利用することも可能である。また、大沢伸一は録音した音源を以下のようにエディットした上でCD—Rに記憶させている。「音圧の低いものにはコンプをかけたり。Live上で自分の使いやすいようにエディットもします。キックやハットを足したり、イントロや間奏をのばしたり。」[GOOVE SPRING 2005:56]自作のトラックだけを用いてCDターンテーブルで“ライヴ”を行っているアーティスト、リョウ・アライは、DJ用の音源のエディットの方法をこのように説明する。「アルバムに入っているシーケンスフレーズをCD-R一枚につき10トラックくらい入れているのですが、ブレイクの小節数を増やしたりと、つなぎやすいようにエディットしています。」[GROOVE SPRING 2005:67]CDターンテーブルの使用は、音源の録音とCD-Rへの記憶という行程が増えるというデメリットがあるが、DAWを利用することで、音源のエディットができるという大きなメリットも存在する。
CDターンテーブルと並んで、近年急速に普及してきているDJプレイのツールとしてコンピュータを利用したTRAKTORなどのDJソフトが挙げられる。(図10-3)DJソフトとは、AIFFやWAVといったファイル形式の音楽ファイルや圧縮されたファイル形式であるMP3の音楽ファイルの再生によってDJプレイを行うソフトウェアである。DJミキサーもソフトウェアとして内蔵されているが、ほとんどのDJはそれを用いずに、オーディオ・インターフェイスを用いて、DJソフト上の各トラックをハードウェアのDJミキサーに出力することでミキシングを行っている。
DJソフトの最大のメリットは、大量の音源を簡単に持ち運べることである。一度に数百曲から数千曲の楽曲をラップトップ・コンピュータ一台で持ち運ぶことができる。さらに、DJソフトでは、各楽曲のファイルのビートや小節の先頭にキューポイントを設定しテンポを設定しておけば、オートシンク機能を用いて既に再生されている曲とのテンポ合わせと同期を自動に行ってくれる機能が存在し、素早いミックスをすることができることである。
DJソフトの最大のデメリットは、現在ではほとんどないことだがソフトのフリーズなどによってDJプレイが止まってしまう危険性があることである。また、ハードディスクのクラッシュなどのコンピュータのハードウェアの故障によるトラブルも起こることがある。そういったトラブルに備えて、予備にもう一台のコンピュータを用意したり、CD-Rを用意しているDJもいる。それに加えて、コンピュータによるDJプレイでは、事前にセッティングをして、音量などをテストする必要もある。
サウンド面の問題やパフォーマンス性が無いことに対して、強弁にアナログ・レコードとターンテーブルによるDJingの価値を主張するDJもいるが、その一方でベテランDJの中にもアナログ・レコード特有のサウンドにこだわりがなく、DJソフトのメリットを優先させてDJソフトを導入している者も存在する。ハード・ミニマム・シーンを代表するDJクリス・リービンは、DJソフトでのDJingについて、このようにコメントしている。「レコードと同じような太い音は出せるよ。しかもクリアなサウンドでね。ターンテーブルの場合は、レコード針がスピーカーの音に共振することがあって、それがサウンドに温かさを与えるのが利点だったりするんだけど、時に音がグニャグニャになってしまう。DJソフトを使えばそんな心配は無いんだ。」[GROOVE SUMMER 2006:78]また、DJソフトに操作の直観性がないことに対してクリス・リービンはこのように答える。「最近はDJソフトを操れるコントローラーがリリースされているし、テンポ自体はTraktorの中で自動で合わせてくれるから不自由は無いよ。機械にできることは機械に任せて、その分、フロアにいる人を楽しませるために選曲などへ時間を費やしたいんだ。僕はターンテーブリストじゃないから、音楽的にやりたいことができればOKなんだよ。」[GROOVE SUMMER 2006:78]テック・ハウスのアーティスト/DJであるヒロシ・ワタナベは、DJソフトのメリットをこう説明する。「僕自身、アナログでさんざんDJしてきたし、プロにとってはピッチを合わせてつなぐっていうのは普通にできることなんですよね。ならばその過程は飛ばしてしまって、もっと純粋に曲と曲とのコンビネーションを追求したいと思っているんです。パソコンの中の膨大な数の楽曲の中から、その日の雰囲気に合わせて選曲を組み立てていけるのはDJソフトの大きな利点で、すごく即興性の高いプレイができる。それにDJソフトに乗り換えてからの方が、曲選びにすごく神経を使うようになりましたね。」[GROOVE SUMMER 2007:145]
テンポの合わせと同期が一瞬で行えるので、余裕を持って選曲を行うことができ、EQやエフェクターの操作に時間を割いて積極的に行うことができる。キューポイントの情報を楽曲のファイルにあらかじめ設定しておいたり、また、ループ機能があり、ループポイントもあらかじめ設定しておくことが切る。また、DJソフトでは、楽曲全体のヴォリュームの波形がグラフィックで表示されるので、アナログ・レコードと同じように「ミゾを読む」ということができる。
しかし、ファイルは楽曲名とアーティスト名が一覧になって表示されるだけで、レコードのようにイメージによって楽曲を覚えることができないというデメリットも存在する。それには、リストの楽曲にジャンルや楽曲の特徴を記述したり、プレイリストに分類することで対処している。
Ableton Liveというループでの音楽制作とライブ演奏に特化したソフトも発売されている。Liveでは、MIDIデータやオーディオ・データによるループを組み合わせた楽曲の構築を簡単に行うことができ、リアルタイムでの各トラックのオン/オフやウ゛ァリュームなどのパラメーターのエディットを容易に行うことができる。DJはDJ感覚で楽曲を制作することができ、アーティストはDJ感覚でライヴ演奏を行うことができる。多くのアーティストがDJ的な要素のあるリアルタイムなライヴ演奏を行うため、Liveを導入し始めいている。一方で、多彩で自由度の高いDJプレイを行うためにLiveを導入するDJも一部にいる。Ableton LiveによってライブとDJの差異が消失し、DJ のアーティスト化とアーティストのDJ化が起ころうとしている。