9.サウンドの音楽

9.1.「サウンドの音楽」としてのテクノ
DJがレコ堀によって蒐集している、テクノのほとんどのトラックは冒頭から盛り上がった状態で始まり、「音楽」的な展開もなく、フェードアウトで突如終わるといった内容のものが多い。ほとんどがエレクトリックな音色の同一のパッセージの反復で構成され、多くの場合、コード・プログレッションやメロディ、機能的なトランスポーズ、アドリブといった要素がなく、シーケンサーやミキサーのトラックのオン/オフとヴォリュームの変化、シンセサイザーやエフェクターのパラメーターの変化、4小節や8小節、16小節ごとのフィル・インなどで“音楽”の展開はつくられている。テクノの個々の楽曲は自律して完結した単一の作品として曲は制作されていないようである。また、テクノというジャンルには、ポピュラー音楽では通常綿密に分業されるコンポージングとアレンジ、演奏、ミキシングの明確な区別がなく、それらが相互に結びつくというような特異な音楽の(音楽用語としての)「エクリチュール」(楽音の形式やハーモニー、メロディーなどの音楽の書法)が存在する。例えば、シンセサイザーのリフにかけられているディレイのフィードバック・アマウントを上昇させるは、一般のポピュラー音楽ならアレンジにあたるが、テクノではそれが楽音の構成と同等の意味を持つ“作曲行為”や“演奏行為”でもある。テクノは、楽譜に記述されその楽譜の演奏によって再現できる「音楽」ではない。
また、テクノの楽曲、特にDJツール的としてのそれは、単独で自律性や自己完結性を持った楽曲ではないという意識からか、チューンやソングではなく、「トラック」と呼ばれる。その「トラック」の元々の語源は、おそらく「レコード・アルバムを構成する一曲」という意味にある。DJプレイの実践を指向したDJツール的な「トラック」を制作するアーティスト(その多くはDJが「本業」である)は、「トラック・メーカー」と呼ばれる。
増田聡は、クラブ・ミュージックの音楽的な特徴を「旋律や和声といった観点から把握される音楽の形式構造よりも、リズム、音色といった「サウンド」に関わる音楽要素を組織し、レコード上に定位することに関心が向けられることになる。」[増田:2005、32]としている。
その「サウンド」とは、細川周平によると「メロディーとハーモニーよりも音色とリズムに関わり、持続的というよりも瞬間的で、構造というよりも出来事に近く、排外的というよりも包合的で、普遍的というよりも個別的で、理念的というよりも現実的で、内的というよりも外的で、真実よりも効果—もっと正確にいえば効果の真実—に関与する傾向にある。」[細川、1990:227-228]ということである。また、細川は、「「いいサウンドをしている」というとき評価の対象となるのは作品(曲)の構造というより、どちらかといえば演奏家(あるいは再生装置)の出す音色やリズム」だという傾向があるとしている。[同:229]
デトロイト・テクノのセカンド・ジェネレーションを代表するDJであり、ミニマム・テクノのオリジネーター、世界でトップ・クラスのテクニックを誇るテクノDJでもあるジェフ・ミルズは、「ミニマムな曲を作っていると終着点を見失いそうにならないですか?」というインタヴューでの質問に対してこう答える。「ミニマム・サウンドにとって重要なことは、出だしの音色だと思うんだ。フレーズが繰り返される中で、オーディエンスが聴き飽きる前に、その音色によって“何か”を伝えなければならない。その何かとは、繰り返しの中で膨らんでいくもので、それが曲の長さを決定付けている。加えて、低域の中にストリングスやパーカッションなどの音が隠れていて、リスナーがそれに気づき始めると、そこから曲そのものが違った表情に聴こえてくることがある。(中略)ミニマリズムには何らかのトリックがあるんだよ。短か過ぎるとよく分からないものが、ある回数に達すると意味がわかり始めるような何かがね。」[サウンド&レコーディング・マガジン2005年11月号:53]ジェフ・ミルズの言うようにテクノでは、サウンドの空間的/時間的構成が常に意識され楽曲が制作される。
テクノは、クラブ・ミュージックの中でもクラブで体験される「サウンド」の要素の重要性が顕著であるが、一方で全く「楽音の構成物」としての「音楽」ではないと言い切ってしまっていいのかも判らない。サウンドの実験性と同時に、ただ実験的なだけではなく、ダンス・ミュージックとしての機能性や音楽理論を用いた「音楽」的な快楽の要素も個々の楽曲に程度差はあれ存立していなければならない。そこには、メロディーやハーモニーによって束縛されない本来のプリミティブな音楽の原型とそれの快楽があるように思える。テクノという“音楽”はサウンドの構成によって音楽の価値が存立している「サウンドの音楽」である。
9.2.ブリコラージュ的な楽曲制作
それでは、実際、テクノの楽曲制作の実際はどういうものだろうか?
一人のアーティスト/トラック・メーカーあるいは、数人で構成されるの「ユニット」によって、テクノの楽曲の制作は、ミュージック・シーケンサーやシンセサイザー、サンプラー、DAWを用いて、低いコストで、シンセサイザーの音色エディットやサンプリング音のチョイスといった音色の創作から始まる楽曲制作の過程のほぼすべてが行われる。さらにミキシング(ミキサーや空間系エフェクターを用いて、各チャンネルの音量や音質を調整したり、さらにサウンドをクリエイトすること。)やマスタリング(コンプレッサーやリミッターを用いて、レコーディングされた楽曲の最終的な音量や音圧、音質、高低のバランスを調整すること。)といったと以前はエンジニアの専門領域であった音源の完成までの過程すべてを一人で行うことも多い。近年は、DAW(デジタル・オーディオ・ワークステーション、パーソナル・コンピュータのソフトウェアを用いた音響制作システム)の低価格化と普及によって、そういったことがますます容易になっている。テクノのアーティストは、専用のスタジオを持たずに自宅で制作することが多く、アマチュアのアーティスト志望者は自室に機材を設置して制作を行っていることが多いため、そういったテクノの特徴について「ベッド・ルーム・テクノ」と表現されることがある。
テクノの楽曲を制作するアーティストには、音楽大学や音楽学校を卒業している者やアマチュア・バンドのキーボード奏者であった者もいる。しかし、基本的にはDJの活動をしていて、楽曲制作に関心を持ったり、自分で制作したトラックをDJプレイで用いたくなって制作を始めるというケースが多い。特にDJツールとしてのトラックを発表しているトラック・メーカーにそういうケースが多い。トラック・メーカーは正規の音楽教育を受けてないし、何らかの楽器をまともに演奏することができないことがほとんである。だが、シーケンサーやリズム・マシンの操作やサンプリングのネタをチョイスするセンスに秀でている。
「クラブ・ミュージックの世界では、シンセサイザーやサンプラーは「楽器」ではなくもっぱら「機材」と呼ばれ、ギターよりもターンテーブルやミキサーに近いものとして扱われている。」という。[増田・谷口、2005:16]クラブ・ミュージックでは、シンセサイザーやサンプラーはもはや従来の「楽器」とは見なされていない。クラブ・ミュージックには、独自の音楽制作の方法とロジックが存在するからである。
増田聡『その音楽の<作者>とは誰か』、椹木野衣『シミュレーショニズム』など既存のクラブ・ミュージック論を読むと、クラブ・ミュージックではフレーズ・サンプリングの繰り返しのみによって楽曲を制作されているに思われるが、テクノの場合には実際フレーズ・サンプリングを中心に楽曲を制作するアーティストは少数派である。実際には、シンセサイザーとリズムマシンを中心にテクノの楽曲は制作される。
ケン・イシイは、楽曲制作のプロセスを以下のように説明する。「何か自分の中でキーになる要素……フレーズとかメロディ、あるいは音色だったりするんですが、それに合うような要素を付け加えていって、いらなければ外す。良ければ付け加えていく。その繰り返しですね。」[キーボード・マガジン別冊シンセサイザー・プログラミング:7]「スタートの時点から曲づくりとミキシングを同時並行でやっているようなもので、初めからパンニングとか、この音にはこのエフェクトっていうのも全部決めていくんで、ヘッドフォンで細かく聴きながらやっていくのが適しているんじゃないかと思います。音づくりにはエフェクトも大事だと思いますね。」[同]
ミニマム・テクノDJでトラック・メイカーの田中フミヤは、楽曲制作の場合はこうである。「最初に何か音を作ってみるんやけど、だいたいMOOGかARPから入っていくかな。音の振れ幅がでかいというか、自由度があるから。で、シンセを全部シーケンサーで同期させて走らせながら、音色やフレーズをちょっとずつ変えつつ、だんだんと形にしていくみたいな。さらにリズムとかパーカッションをはめていって、最後DATにリアル・タイム・ミックスって感じですね。」[サウンド&レコーディング・マガジン2000年9月号:55]MOOGとARPいうのは、ヴィンテージ・シンセサイザーの名器であり、リアル・タイム・ミックスというのは、シンセサイザーのつまみやミキサーのフェーダーなどを録音中にリアル・タイムで操作して楽曲の時間的構成を作ることである。
また、ジェフ・ミルズは、音楽制作の手順について以下のように説明している「普通はストリングスが最初に思い浮かぶんだ。リードのメロディ・ラインをストリングスやパッドで先に作って、それからベースやほかのパートを作っていく。そしてドラムやパーカッションは一番後に加えるんだ。もしシーケンスを作った時点で良いものができた場合、ドラムはもはや必要なかったりするからね。だからドラムはどちらかというと、付随的なものなんだ。」[サウンド&レコーディング・マガジン2005年11月号:53]
このようにテクノのアーティストは、シンセサイザーの気持ちのいいフレーズやコード・バッキングや印象的なリズム・パターンをベースにして、後から必要な要素を付け加え抜き出すことを繰り返す、といったプロセスで楽曲を制作する。
テープ・メディアを利用したMTR(マルチ・トラック・レコーダー)の多重録音による個人による音楽制作は新しいことではなく、70年代から行われている。だが、テープによる録音ではトラックのデータを編集できるわけではなく、楽器の演奏能力が必要だった。コンピュータ・ソストや専用機のシーケンサー上のMIDIデータによる音楽制作では、高度な演奏能力と音楽理論の知識は必要ではない。繰り返しのデータのレコーディング、ステップ入力、ペンツールによるマウスでの入力、数値入力によって演奏情報の入力が可能である。コンピュータ上では、後からの演奏データのエディットが無限に可能である。このコンピュータ上での無限エディットとランダム・アクセス性、それにループ機能を用いて、トラック・メーカーは楽曲を徐々に構築していく。(図9、ミュージック・シーケンサーの画面)メディア・アートを専門のひとつとする美術評論家の伊藤俊治は、コンピュータのインタラクディウ゛ィティについて、こう説明する。「インタラクティヴィティは、人間の発する情報にもとづき、コンピュータが自らのプログラムを実行するときに、人間とコンピュータのあいだに生成してくる。この人間とコンピュータのあいだの対話と相互性は、コンピュータに関わった人間の内部で解放され、多様な関係の輪を生じさせてゆく。」[伊藤、1999:155-156]つまり、トラック・メイカーはコンピュータのインタラクティヴィティを利用して楽曲を制作しているということである。そこでは楽譜に音符を書き込んで、リニアーな時間の構造物としての楽曲を構築していく作業とは全く発想が異なる思考が用いられている。
トラック・メーカーのトラック制作における思考とは、レヴィ=ストロースの言う「ブリコラージュ(器用仕事)」の思考である。「ブリコラージュ」とは、あらかじめ綿密に計算されるのではなく、ありあわせの道具材料を用いて自分の手でものを作ることである。[レヴィ=ストロース、1976:22]ブリコルール(器用人)は、「エンジニアとはちがって、仕事の一つ一つについてその計画に即して考案され購入された材料や器具がなければ手が下せぬというようなことはない。彼の使う資材の世界は閉じている。そして「もちあわせ」、すなわちそのときそのとき限られた道具と材料の集合で何とかするというのがゲームの規則である。」[同:23]という。また、ブリコラージュの「でき上がりはつねに、手段の集合と構造と計画の構造の妥協として成り立つ」のである。[同:27]
こうしたブリコラージュの思考と方法をあえて推し進めるトラック・メーカーもいる。ジェフ・ミルズは「なぜコンピューターを使わないんですか?」という質問に対して、こう答える。「それよりもミュージシャンとして個々の楽器そのものに集中して曲を作る方が僕には向いていると思った。コンピューターを使えばすべてのことができるのは分かっている。だけど、僕はある種の限定された条件の中で作業するのが好きなんだ。その方が作曲がよりシンプルに行える。実際、そういう限られた条件で作業し続けたことによって、よりパーソナリティやキャラクターを出せることを学んだよ。5分間という限られた世界の中でアイディアやコンセプトを表現するために音楽をよりミニマムに、よりシンプルにするように心掛けているんだ。」[サウンド&レコーディング・マガジン2005年11月号:53]
シンセサイザーという言葉の由来は「Synthesis:合成」であり、それは本来、音色を合成して研究するための機器である。[大蔵、1999:123]シンセサイザーは、音色を自由に無限大に創造できることに本来その存在価値がある。先に述べたようにテクノではシンセサイザーの音色とそのフレーズやリフを中心に楽曲が制作される。ヒップ・ホップのようなほとんどフレーズ・サンプリングのみによる楽曲制作はあまり行われない。
ケン・イシイは、サンプラーを使ってサウンドをクリエイトしていくことは面白いが、「でも、いわゆるフレーズ・サンプリングっていう使い方はほとんどしていない。」[サウンド&レコーディング・マガジン1999年6月号:37]と発言している。田中フミヤは、「MTRは使わないんですか?」という質問に対して、「うん、どっちかと言えばサンプラーをMTRとして使ってる感じかな。例えばシンセの質感が違うと思ったら、フレーズごとサンプラーに録り込んでフィルターをかけたりとか。」[サウンド&レコーディング・マガジン2000年9月号:55] と答えている。この「フレーズごとサンプラーに録り込んで」というのは、音質の調整のためであり、いわゆるフレーズ・サンプリングによって楽曲の構成を作っているわけではない。ジェフ・ミルズは、4台のサンプラーを所有しているが、同様の使い方に用いている。[サウンド&レコーディング・マガジン2005年11月号:53] 一般には「DJの音楽制作=サンプリング」というイメージがあると思われる。だが、サンプラーの使い方にはフィルターによる音色の加工という側面もある。テクノにおいては、ジェフ・ミルズや田中フミヤという最高峰のDJであり、最高のDJツールとしてのトラックを発表するトラック・メーカーでさえ、フレーズ・サンプリングを用いていない。テクノでは、サンプラーはもっぱらワンショットの音色のサンプリングと加工、もしくはレコーダーの代用とそのトラックの質感を変えるためのフィルターとして用いられる。
また、テクノ・トラックにおけるブリコラージュ的な“音楽”制作では、「フレーズ・サンプリングとそれによる楽曲の構築」という、ヒップ・ホップ的ないわゆる“DJ的なセンス”とは異なる意味でのそれが重要になる。テクノのトラック制作に必要なDJ的センスとは、つまり、クラブで「使える」、至高性をもたらすサウンドや時間的転回をもった楽曲を制作することである。そのためには、どこまで楽曲を作り込むか情報量を持たせるかということと、反復の快楽性や複雑にしすぎないシンプルな音楽性を維持するかということのバランスの見極めが重要である。複雑なリズムパターンやフィルインの入れ過ぎ、複雑すぎるハーモニーやコード進行はダンスの快楽を妨げる。
テクノの楽曲の価値は、シンセサイザーの音色や偶然的なデータ入力、サウンド・エフェクトといった楽音ではない、「音楽的」ではない、楽理的に分解できない要素で構成され独自のエクリチュールを持っている。そのエクリチュールがもたらすトポスでは、ロックにおける“コピー・バンド”のような「コピー」という行為がそもそも成り立たない。そこでは、音楽に対するオリジナル/コピーという観念や思考法が消失している。こういった価値のあり方と個人による全課程の制作によって、すべての楽曲はある意味でオリジナルであり、楽曲は匿名的であってもアウラや真正性が生じることになる。
またオリジナル/コピーに裏付けられる価値が存在しないことの延長として、テクノ・トラックでは、ポピュラー音楽における「シングル・カット」された楽曲や「シングル用の楽曲」とおざなりに作られた「アルバムの収録曲」のようなステータスの差異が存在しない。トラックとアンセムには機能の違いから生じる差異があるが、それらのステータスは平等である。
シンセサイザーの音色エディットをはじめとするサンプラーやエフェクター、シーケンサーによる音響的な創造と実験性、ダンスするための機能性やグルーヴ感の両立がテクノ楽曲の存在価値であり、それを目的として楽曲はブリコラージュ的に制作される。
ロック史上で初めて、個人による多重録音によって制作された、エポック・メイキングなインストゥルメント・アルバム、マイク・オールドフィールドの『チューブラー・ベルズ』について、小沼純一はこのように評している。「マイクが密室のなかで手づくりでダビングをかさねてつくりあげてきた微細な、万華鏡のようなテクスチュアに耳を奪われる」[キーワード事典編集部編、1990:182]「それまで耳にし、関心をはらってきた音楽を自分の内部で醸成させ、格別にひとつのスタイルに中和させることなくもとの味を生かしつつつなぎあわせていく手法。ほとんどの楽器をひとりで奏し、ダビングしてゆくマイクを自閉的というのは容易だし、また一面正しくもある。そのようにして紡ぎだされる音が多分にノスタルジックなそれゆえ危険な美しさを分泌しているということ、このようなつなぎあわせをまとまりのない羅列ということだって可能だ。」[同:182-183]
先に述べたデトロイト・テクノの情緒性とはこうした個人制作による独自のテクスチュアによって生じる。個人がシンセサイザーの音色エディットからミキシング、マスタリングまですべての過程を制作することによって、テクノの楽曲には、個々のアーティストがもつテクスチュアが現われて、制作したアーティストのフィーリングやマインドをその中に感じることができる。