8.レコ堀とアーカイブの構築

8.1.データベース的知を「レコ掘り」する
パーティーの情報は主にフライヤーやインターネットによって発信されている。では、DJやアマチュアのDJ志望の若者、マニアックなリスナーはどうやって音楽やアーティスト、楽曲の情報を知るのだろうか?
テクノ・シーンにおいて音楽の情報源となっているのはクラブ・ミュージック専門誌に掲載されているアーティストのインタビューやレコード・CDのレヴュー、DJのプレイ・リスト(チョイスとも呼ばれる)、そして、インターネットの専門店のショピング・サイト、個人の音楽レヴューのホームページやブログ、レコード・レーベルのホームページ等である。だが、それ以上にクラブ・ミュージックにおいて楽曲の情報源として重要になるのは、直接レコード店に赴いて、既知の情報を頼りにレコードを探し試聴することである。
テクノをはじめとするクラブ・ミュージックではレコードに関するレヴューを雑誌やインターネットで読むことができるが、ポップスやロックと違いFMラジオやテレビなどのマス・メディアで楽曲を聴くことはできないので、楽曲の実際のコンテンツの情報を入手する手段は限られている。もちろんクラブではDJによってレコードが用いられ、直接、レコードのコンテンツを体験することはできるが、アンセム以外のトラックは匿名であり、ほとんど曲名もアーティスト名も判らない。直接、CDとコンテンツの情報を知る方法のひとつは、タワー・レコードやHMV大型のCDメガ・ストアのクラブ・ミュージックコーナーの視聴ブースで、CDを視聴することである。だが、視聴できるのは、一部のCDでリリースされる音源の中の店員によってセレクトされた一部のものである。CDメガ・ストアで試聴はDJやDJ志望者やマニアックなリスナーにとって到底、満足できるものではない。テクノ・シーンにおいて、最も重要でメインの楽曲の情報源となるのは、テクノやクラブ・ミュージックの専門のレコード店でレコードを探し試聴することである。
テクノの主な音源である12インチ・レコードは、世界中のほとんど少数のスタッフとあるいはアーティスト本人によって運営される小規模の制作・販売会社=「レーベル」によって、常に最新のレコードがリリースされ、世界中のクラブ・ミュージック専門のレコード店へ流通されている。常にレコード店に並ぶ商品は入れ替わり商品の流動性が高く、洋服や古書の市場のように定常性や確実性が低い。メジャーなレコード会社から発売されているCDやISBNの付けられた一般の書籍とは異なり、全般的なカタログや目録や検索システムがあって確実に商品を手に入れたり在庫を確認したり、といったことができるわけではない。デトロイト・テクノのアンセムなどの名盤や人気盤は何度もリイシュー(再販)されるが、それらも店頭に現われては消えていく。クラブ・カルチャーの中で専門のレコード店は「レコ屋」と呼ばれているが、DJやテクノの熱心なリスナーは、古書の愛好家が神保町の古書街を回ったり、渋谷・神南地区で若者が界隈のショップをウインドウ・ショッピングするように、定期的に宇田川町周辺の渋谷のレコ屋を回って、未知の情報や最新の情報を得てレコードを入手する。

レコ屋では、数千枚のレコードが、まず、テクノ、ハウス、ドラムンベースといったジャンルに分けられ並べられている。(図8-1)各ジャンルのコーナーでは、アルファベット順に、レーベル名、もしくはアーティスト名によってレコードが分類されている。(図8-2)店によっては、サブ・ジャンルによってレコードを分類し、さらに、著名なレーベルのものを分離して陳列しているところもある。新譜や新入荷のリイシュー版でその店がプッシュするものは、壁面に設置されたニュー・リリースの棚に、数枚から十数枚、同一のレコードごとに陳列されている。(図8-3)
DJやテクノのリスナーは、ジャンル、サブ・ジャンルの分類やそのレコード店によって楽曲の簡単な解説が書かれた紙=ポップ、既知のレーベル名やアーティスト名などを頼りにしつつ、未知のレコード、DJプレイで「使える」レコードを発掘していく。レコード店でレコードを探すことは、レコード棚に置いてある大量のレコードを夢中で世話しなく捲っていく様子からも由来しているのだろうか、金山から金脈を発掘することのアナロジーなのか、「レコ堀」(digging)と云われている。この「掘る」という言葉は、現在では古書や古着屋といった若者のサブ・カルチャーのジャンルにおいても、「現場で不確定な商品群から目当ての商品を探し出すこと」に対する呼称として用いられている。
「レコ堀」してピック・アップしたレコードは、レコード店に設置されている試聴用のターンテーブルで試聴することができる。(図8-4)その試聴の方法が独特で、DJたちは最初からレコードを再生するのではなく、曲の途中に適当にレコード針を落ながら数秒程、試聴を何度か繰り返す「DJ聴き」と呼ばれる方法で試聴する。楽曲の全体を聴くのではなく、トラックがクラブというDJプレイの実践の場で「使える」ものか、「ノリがいい」かどうか、その曲の持つグルーヴを素早く確認するためにそういった方法で試聴するのである。
この「レコ堀」には、一定の作法がある。古本ライターの岡崎武志は、「本をどれだけ愛し、数千万冊の本を手のひらに載せ、滑らせてきたかが、何気ない動作に現われるのである。」「本を扱いなれた人は、本棚の前に立って、ページをめくるとき初めてその人が格好よく見える。」と述べていて、さらに、古本を愛する人はそれらを含めた立ち振る舞いやマナーを習熟している、としている。[岡崎、2001:15-25]同様にクラブ・ミュージックのカルチャーにおいても、慣れたDJのレコ堀は動きに無駄がなく、かなりの速さで素早く大量のレコードを掘っていく。そして、レコードを痛めずに素早い動作で的確に「DJ聴き」をしていく。レコ堀はDJカルチャーのひとつの身体技法である。

デトロイト・テクノのオリジネーターの一人、ホワン・アトキンスはremixのインタヴューで、レコードを「最近はオンラインで買うDJも多いですよね。」という質問に対し、「実際に店にいって視聴する方がいい。店の雰囲気を味わって、そこでいろんな人と交流するのが好きなのだ。」と答えている。[remix 2006年10月号:31]「レコ堀」をしながら渋谷のレコ屋を回ることは、クラブ・カルチャーに意味づけられた「場所性」[レルフ、1999]の経験であり、(図8-5)遊歩の楽しみもあるし、そこではショップのスタッフやDJ、熱心なリスナーとの情報交換やコミュニケーションの可能性もあり得る。ミュージシャンのかまやつひろしは、「ぼくは古本屋を一軒一軒ゆっくりひやかして歩くということが好きである。(中略)一冊の古本を棚から抜き出したときの、さあ何がでてくるかというあの緊張感のほうが僕は好きだ」「ぼくは、古書好きな人が、本をあさっているのをみるのが好きだ。」と古本屋めぐりの楽しみについてと述べている。[岡崎、2001:56-57]レコ屋めぐりとレコ堀にも同様の楽しみがある。また、レコード店の集まる地区やレコード店自体が、クラブ・カルチャーの重要なある種のメディアとなっているとも考えられる。「レコ堀」は大切なクラブ・カルチャーであり、DJの活動や仕事の一部でもある。だが、現在、レコードのインターネット・サイトでの通販、DJ用CDプレイヤー、mp3によるインターネットでの音楽配信、それらの登場とその普及が進んでいて、専門のレコード店の経営や「DJやリスナーがレコ屋に足を運ぶか」といった問題が危惧される。
レコードは世界中の無数のインディペンデント・レーベルによって制作され、世界中のクラブ・ミュージック専門のレコード店で販売される。個人的にプレスを行ってレコードをレコード店に持ち込む場合もあり、どんなにレコード収集に熱心なDJでもジャンルのすべてのレコードを手に入れることはおろか、音楽シーンの全貌を把握することさえ原理的に不可能である。クラブ・ミュージックでは、「ビブリオグラフィー」や「壁のない図書館」[シャルチエ、1996:123-130]を作ることは到底できない。すべての情報を網羅した目録としてのビブリオグラフィーやディスク・カタログもつくることはできない。「レコ堀」と「DJ聴き」を繰り返す中で、DJやリスナーは音楽やそのシーンについての知識を形成していく。そうしてレコ屋という場で得た知識が、DJにとって最も重要な価値のあるものになる。
インターネット・サイトでの検索と購入によって、現在では、自分の探しているジャンルやレーベル、アーティストのものなら在庫があるなら簡単に手に入れることができる。欲しいとわかっているものなら何でも容易に手に入れることができる。だが、レコ屋で店員のプッシュしたものを手に取ったり、レコ堀の過程で偶然ポップの情報やレーベルやジャケットのデザインに惹かれて未知のアーティストやレーベルを試聴してみたり、という行動がなくなる。ネット・ショップでは、リアルなレコ堀にあったような偶然性やポジティヴな意味での受動性が圧倒的に低く、能動的な検索だけでは、音楽の知識の拡がりにおいて明らかに弊害がある。
8.2.ライブラリーとアーカイブで表現する
レコ堀で獲得したレコードは、クラブでのDJプレイに用いられる。そのレコードは単体で用いられるのではなく、パーティーの現場で他のレコードとのパラディグムな関係の中で用いられ意味を持つ。その前段階として自宅やスタジオの「ライブラリー」とレコード・バッグやケースという小さな「アーカイヴ」をどのようなレコードで構成し、管理するかということがDJプレイを基礎づける要素として重要になる。
クラブDJのレコード・コレクションは、モノや商品としての希少価値ではなく、常にDJプレイでの使用を志向して集められる。DJは普通、通常のレコード・コレクターとはかなり違った価値観でレコードを集めている。レコード・コレクターのブレット・ミラノは、「レコードを集めようという気持ちは、音楽が好きと言うだけではなく、ものとしてのレコードに魅了されることから始まる。」と述べている。[ミラノ、2004:28]また、レコード・コレクターは針を落としてレコードをすり減らすことを好まず、音楽が同じだがジャケットが違うレコードを揃える、というようにモノとしてのレコードそれ自体を価値基準としてレコードを集める。[増田・谷口、2005:150-151]だが、クラブDJは、レコードをケースやバックに入れて持ち歩き、DJプレイでレコードを酷使している。テクノのDJはあまり行わないがヒップ・ホップのDJはレコードの盤面に頭出しの位置のマーキングをしたり、レーベルにBPMの書き込みをしても平気である。その一方で、中古市場ではDJプレイでの価値やクラブ・シーンでの人気を想定してレコードの値段がつけられるという現象も起きている。
DJは自宅やスタジオのライブラリーにレコードをストックし、その一部をレコード・ケースやレコード・バックに入れてクラブという現場に持ち込む。手に入れたレコードを全く手放さず数万枚のレコードを倉庫などに保管し所有するDJもいるが、通常は所有や管理に限界がある。ススム・ヨコタは、「買って売ってを繰り返しているんです。部屋も狭いし、あまりものを置きたくないんですよ」とインタヴューに答えていて、DJを行っているにしてはレコードの所有枚数が少ないという。[サウンド&レコーディング・マガジン1999年5月号:49]ハウスDJのコウ木村は、「常に部屋には5000枚くらいレコードがあり、毎年3000枚づつ処分している。」[relax 1997年9月号:13]という。DJはクラブで「使える」レコードを所有し、明らかにあるいはおそらく「使えない」レコードは処分しているケースも多い。
DJはレコードという記録メディアを用いてDJプレイを行う。どんなレコードを買い求め、どういったレコードをストックし、そのうちからDJプレイにどんなレコードをチョイスするのか、ということがDJの個性や表現となる重要な要素となるものであり、DJの音楽やDJプレイに対する価値観がこれらに反映される。例えば、シン・ニシムラは、「テクノは新譜命と言われてますがレコードバッグの中身も頻繁に入れ替えてますか?」というインタヴューに対し、「そうですね。テクノはお金がかかります(笑)。せっかく買ったのに一回しかかけなかった盤もよくあるし、レコードを買うときは見極めがとても大事ですね。」と答えている。[GROOVE SUMMER 2006:127]一方でDJ TASAKAは、あるインタヴューで「僕の場合、新しいレコードをかけることに、魅力を感じるというよりは、自分のDJセットを想定して新しいレコードを買っているので、古いからといって外すことはないんですね。自分の気に入ったものであればリリースの年代は関係ないです。」[GROOVE SUMMER 2005:59]と発言している。
東浩紀は、オタク文化における表象の特徴を、設定の蓄積である「大きな非物語」のデータベースの中のパーツの組み合わせだとしている。[東、2001:54-91]クラブDJの場合も、トラックという非物語のパーツを組み合わせて、データベースのパーツの組み合わせによってテクストや表現を生み出す。そういったパーツの組み合わせをオリジナルな表現に昇華するための要素として選曲のセンスが重要になる。
DJの場合は、さらにレコード店というデータベースとクラブでのDJプレイとの間にもうひとつのデータベースが存在する。デトロイト・ハウスのDJ/アーティスト、セオ・パリッシュは、「“掘る”という行為には家でやるのと店でやる2種類がある。」[GROOVE AUTUMN 2007:36]と発言している。つまり、大量のレコードを所有するDJには、自らのライブラリーを掘るということが必要になるDJプレイでは、クラブへ持ち運びできる物理的なレコードの量が限られている。クラブに持ち込むレコードの枚数について、DJ MOODMANは150〜200枚、シン・ニシムラは60〜70枚、田中フミヤは約100枚、石野卓球は80枚くらいだと答えている。[GROOVE SPRING 2006]来日するDJが大規模なツアーやパーティーを行い、ロング・プレイ・セットを組む場合は数百枚のレコードを運搬し持ち込むこともある。DJにとってはクラブでのプレイに対応してどんなレコードを現場に持ち込むかということがとても重要な仕事のひとつである。DJ TASAKAは、「パーティによって持って行くレコードもかなり変わりますか?」という質問に対して、「何だかんだでよく入れ替えますけど、新しいレコードを買ってきたらそれを優先的に持って行くというよりは、パーティの色に合わせたレコードを選びますね。例えば、今回のYELLOWでは、出番がフォース・オブ?ネイチャーの次で、彼らがファンクディスコっぽいものをかけると思ったので、それにつながるようなクラシックディスコやファンクディスコのレコードを多めに持って行きました。そういった古いレコードが3割くらいで最近のテクノのレコードが7割でしたね。」と答えている。[GROOVE SUMMER 2005:59]DJは、プレイするクラブのカラーやパーティのコンセプト、前後に出演するDJの音楽性、プレイ時間、そして自分の表現したい内容などを考慮しながら、自分のライブラリーというデータベースからレコードをチョイスし、レコード・ケースにさらにひとつのDJのプレイの基礎となるレコードを分類する。そのDJプレイの現場で用いる複数のレコードのパッケージングを「アーカイヴ」と定義したい。
ここで用いている「アーカイヴ」とは、公的・歴史的文書の保管所としての「文書館」ではなく、コンピュータ用語としてのそれをイメージしている。アーカイブとは、「アーカイバーでひとつにまとめられたファイル。あるいは、インターネット上で公開されているファイルの保存庫のこと」[日経パソコン編、1997:332]である。そのアーカイブを制作するアーカイバーとは以下のようなものである。「複数のファイルを一つにまとめたり、逆に元に戻したりするソフトウェア。本を詰め込む書庫(archive)が名前の由来。たいていはファイル圧縮の機能も備えており、圧縮ソフトとほぼ同じ意味で使われる。」[同:332]DJは、レコード・バッグの中にある目的をもった小規模な機能的なレコードの集合を作る。それは、従来のマニア的・オタク的な意味での「コレクション」ではない。
DJのレコードの“コレクション”は、従来のマニアやオタクにおける「コレクション」とは何が異なるのだろうか?
ジャン・ボードリヤールは「蒐集の分類体系」において、「機能を抽象され、主体に関係づけられた物の所有こそ所有である。この意味では、所有される物はすべて、同じ抽象化をこうむるのだし、そのどれもが主体にのみかかわる限りで相互連関する。こうしてオブジェはひとつのシステムをつくり、その陰で主体はひとつの世界、ひとつの私的な全体をつくりあげることができる。」と述べている。[エルスナー・カディエル編、1998:17-18]こうした従来のコレクションのあり方と比較すると、DJのレコード・コレクションは、単なるオブジェとしてあるのではなく、クラブでの実践と実用を志向して行われるている。だが、コレクションがDJという主体によってひとつのシステム、音楽世界、コスモロジーを造るという意味では「コレクション」である。DJの“レコード・コレクション”のあり方は、従来のコレクションに対する考え方では捉えることができない
また、ボードリヤールは「物の特性、物の交換価値は文化的、社会的領域からでてくる。これに反して、絶対的な特異性は、わたしに所有されることによってその物に生じ、わたしは逆にその物において自分を絶対的に特異な存在と感じるのである。」[同:21]としている。つまり、コレクションでは、社会的には価値のない物でも、コレクターという主体によって「物のシリーズ」として物が集められ所有されることで特異で私的な価値が生じてくる。DJの場合は、クラブで効果を発揮するグルーヴを求め、レーベルやアーティストが知られていない“価値のない”レコードでも積極的に試聴を行い、それがライブラリーの一部となること、クラブで使用されることでDJプレイの価値が生じてくる。コレクターのコレクションも何らかの「表現」であると云えるかもしれないが、DJのコレクションは、その内側に籠るのではなく、それがそれの外側での実践的な行為や表現で用いられることを想定して、あるいはそれを基準にして造られるということが異なる。
ボードリヤールは、コレクターのコレクションの真の動機について、以下のように説明している。「蒐集を単なる蓄積とちがったものにしているのは、蒐集の文化的複雑さと同時に、その欠如、その不完全さである。欠如とは常に、はっきりとした物への要求、これこれしかじかの欠けた物への要求である。」[同:33]コレクションとは、コンプリートを目指すものであり、欠如とコンプリートへの欲求がコレクションのモチベーションとなる。だが、DJのレコードのコレクションやライブラリーは常に欠如していて、その欠乏が原理的に満たされることはない。DJのコレクションの動機は、クラブで自分の音楽世界を表現すること、そのためのライブラリーやアーカイヴを更新し再構築すること、そしてレコ堀の楽しみにある。新しい音楽・未知の音楽への欲求、DJプレイでの感動がDJをレコ堀へと駆り立てる。