1.それは「音楽」なのか?

ナイト・クラブでテクノ・サウンドの大音響とクラバーたちの身体の中で踊っていると、音楽に対する不思議な思索に陥ることがある。クラブのフロアでは6時間以上のもの間、常に途切れることなく“音楽”が流され続けている。その“音楽”はヴォーカルの入らないインストゥルメンタルで音数が少なく、コード進行やアドリブ、フィル・インのないものがほとんどだが、そういった(楽音の構造物としての)「音楽」とは言えないような“音楽”がそこでは価値を持ち、大勢のクラバーの前で堂々とした振る舞いで空間に溶け込んでいる。そこでは個々の楽曲は不定形で、イコライザーやエフェクターで加工され原型をとどめてないこともあり、複数の曲がどこで「つながれて」いるのかもわからないこともある。そういった空間でクラバーたちはずっと立ったままで長い時間のある意味での集中やある種の拘束を受け入れ楽しんでいる。クラブという空間では日常とは時間の流れる早さが違っているし、日常とは音楽に対する時間の感覚や音楽の聴き方、感じ方が異なっている。
DJはそこにいる。DJはフロアの中で注目を集め、クラブのフロアの空間をコントロールしている。DJは、レコードを再生しミキサーを操作している。だが、ヴォーカリストや楽器のソリストのように自身の身体を用いて常にその場で楽音を発信し、常に緊張を継続させたパフォーマンスをしているわけではない。DJによって表現されるシニフィエやテクストといったものは、DJという主体によってダイレクトに完全にコントロールされているとはいえず、その間にはある隔たりが存在している。だが、DJはそこでレコードをプレイし、確かに一定のある表現行為を行っている。しかし、そこで用いられる楽曲は自身で制作したものではないことが多いし、それ以前に用いられている楽曲の制作者の名前がそこではほとんど問題にならない。では、DJのプレイしているその音楽は彼の音楽と言えるのだろうか?それはオリジナルな表現行為と言えるのだろうか?その一方で、DJが再生する音楽はレコードを制作したアーティストの所有物や著作物だとも言いきれないようにも思える。
クラブでのパーティーにおける楽曲は、不定形で捉えどころが無く、制作したアーティストや曲名も判らず、時が経てばそれらの音楽の具体的な痕跡や記憶はほとんど失われてしまう。パーティーやDJのプレイの抽象的でおおまかな記憶は残るかもしれないが、ほとんどの個々の楽曲に対する具体的な感動とその記憶はどこかへ消え去ってしまう。クラブという空間ではコンサートやライヴ等の「プログラム」としての楽曲の聴取のようには楽曲は消費されてない。それは、クラブという特殊な空間の中で個々の楽曲は自律した「音楽」「作品」という形態が消失しているからだと考えられる。そして、それらの楽曲で構成されるひとつのDJのプレイやパーティーは、クラシック・ミュージックやポピュラー音楽や「コンサート」よりも存在が不定形で不安定なものであるように思われる。しかし、その一方で、ひとつのDJプレイやパーティーは「作品」とは言えないとしても、一定の形態は持っている。そうだとしたら、一人のDJのプレイや一晩のパーティーをどういうものとして理解すればいいだろうか?
そして、そういったパーティーの中でクラバーたちは一晩中ダンスする。ダンスすることで確かに音楽を積極的に享受し楽しんでいるようではある。だが、クラバーたちはDJのプレイするレコードのコンテンツとしての「音楽」を楽しんでいると言えるのだろうか?クラバーは「音楽」ではなく、大音量のサウンドのボディー・ソニックで刹那的な快楽を楽しんでいるだけだとは考えられないだろうか?
はたしてテクノは「音楽」なのだろうか?
テクノやハウスいったクラブ・ミュージックの楽曲や音盤の価値や意味のあり方は、従来のクラシックやジャズ、ポップス、ロックのそれとは大きく異なる。
クラシックやジャズ、ポップスなど様々な音楽ジャンルにおいても、楽曲や音盤の価値や意味のあり方に差異が存在と思われる。それは、まずその音楽ジャンルが何を「美」や価値とするか、何が醍醐味となる音楽であるかということがあり、それを表現するために音楽が実践される場、情報を伝達するメディアやジャーナリズム、音盤などのコンテンツの制作・販売のシステム、そして音楽シーンが形成され、音楽の実践と音盤の再生産を繰り返されることによって固定化されると言えるのではないか?
テクノにおける楽曲や音盤の価値や意味と音楽実践のあり方は、アーティストの名称が前面に出され、商品として徹底的にマーケティングされパッケージングされて、マス・メディアで情報が盛んに流通し。巧妙に計算され尽くしたアドバタイジングとしてのコンサートを行う「ポピュラー音楽」とは全く異なる。
テクノにおける楽曲や音盤の価値を、音楽が実践される場とそこでの体験、DJによる音楽実践のあり方、その音楽シーンの特徴とそれが形成されてきた歴史、音楽ジャンルが持つカルチャー、情報メディアのあり方、音盤の生産と流通などについて記述することで考察していきたい。