■『ネット・バカ インターネットがわたしたちの脳にしていること』ニコラス・G・カー(青土社)
メディア論からコンピュータとインターネットの歴史、精神医学から脳科学、認知科学、神経科学、精神分析、そして著者の実体験など様々な知見を用いてインターネットがどのように私たちの生活に影響を与え、脳の機能や思考を変容させているかを考察する。
■『ウェブはバカと暇人のもの 現場からのネット敗北宣言』中川淳一郎(光文社新書)
広告代理店の企業PR部門、そしてニュースサイト編集長としてネットの最前線に関わり続けてきた著者が、ネットユーザーとネット言論の愚劣さ、依然変わらないテレビの影響と支配力、ネットでの広告やブランディングの効果が限定的あるいは無意味であることを説き、個人も企業もネットに過剰に期待せずリアルの場で豊かに生きていくことを提案する。
企業は「ネットはあくまでも告知スペースであり、ネットユーザーに合わせたB級なことをやる場である」とだけ考えることでようやく人々から見てもらえる。(p.243)
一般の人は「ネットはただ単にとんでもなく便利なツールであり、暇つぶしの場である」とだけ考えることでネットと幸せなつきあい方ができるようになる。(同)
■『バカざんまい』中川淳一郎(新潮新書)
テレビとネット、それらに影響を受けたリアルな日常に溢れる様々な日本の「バカ現象」をアメリカに留学経験がありメディア側にかつていた筆者がエディター的視点で痛快に痛烈に切りまくる。
私はウェブについて「ネットユーザーは『クリックする奴隷』」と表現していますが、スマホがここまで行き渡った今、その傾向はさらに強まっているといえます。(p.96 – 97)
■『今ウェブは退化中ですが、何か? クリック無間地獄に落ちた人々』中川淳一郎(講談社)
ネット炎上現象の愚かさ、「誰もが発信できる」ことによって逆に窮屈になり未来を失ったネットのあり方、日本語のネット空間とその言論のレヴェルの低さとそれらへの対処法・マーケティング法、ネットはただの便利なツールでありリアルでの体験と出会いが大切なことを述べる『ウェブはバカと暇人のもの』の続編。
サブタイトルの印象とは違って、ネット依存問題というよりも、「日本のネットユーザーは愚かで粗暴で幼稚で、マスメディア=テレビの情報に流されやすい」という具体的で日常的なレヴェルでのメディアリテラシー・ネットリテラシーの問題が主に例を挙げあれて書かれています。
1. ネットを使っても、別に魔法のようなことは起こらないし、夢は叶わない。期待し過ぎるな。ネットはそこまではすごくない。あくまでも、とんでもなく便利なツールというだけの存在である。(p.13)
私は1994年からのネットユーザーだが、自分がネットを使っている光景を振り返ってみて、愕然とした。(p.251)
一日の相当な時間をネットに費やして来たにもかかわらず、私はほとんどその間の状況を思い出せないのである。どんなサイトを見たかも覚えていない。ブラウザの「ブックマーク」や「履歴」を見れば、「確かにこの時オレはネットを使っていたな」という記憶は戻ってくるものの、それは思い出にならないのだ。(同)
■『ネットのバカ』中川淳一郎(新潮新書)
『ネットはバカと暇人のもの』から4年、SNSの登場やスマートフォンの普及によってより一般化しマスメディアになったことで逆に不自由になったインターネットの現状、SNSやブログはタレントやスポーツ選手といった有名人が有利なごく少数の「勝ち組」の世界であること、ネットはタブロイド・ネタが受けるB級メディアであること、SNSやオンラインゲームでさえ業者によって作られた幻想の中のしがらみと見栄の世界でしかないのにカモにされてそれらにハマるバカ達、、、などなどを筆者が切りまくる。そして、ネット社会で生き残る処世法、ネットの「困った人たち」への対処法、リアルのコミュニケーションと人間関係の大切さを教える。
あなたの1クリック、1いいね!、1RTはすべて強者をより強者にするために使われている。イケている人をさらにイケている人へと強化するために使われている。いわば、あなたは「クリックする機械」でしかない。(p.73)
クリックする一般人は、時間と手間が取られるだけで何のリターンも得ない。収入はゼロ。手間を考えたらマイナスといってもいい。こんなことは現実世界ではありえない。安い時給であっても、手間と時間を提供して働けば相応のカネが手に入るのだ。その構造を知ったうえで、あくまでも娯楽や暇つぶしとしてクリックを続ける程度の期待値の方が、現実的だ。(p.74)
■『ネットは基本、クソメディア』中川淳一郎(角川新書)
第1部「キュレーションサイト問題の本質」では、WELQ問題やフェイクニュースなどを取り上げ、著者自身もキュレーションサイトやネットニュースサイトを運営した経験から量産されるネット記事のいい加減さや情報発信側でそれが起こる要因や構造的問題について述べる。
第2部「ネットはもはやマスメディア」では、ネットをネタにして情報を発信するテレビなどのマスメディア;マスメディアで取り上げられた情報がネットでヒットすることへの問題提起、広告費を得るためだけにPVを上げようとするネットメディアの集金構造の問題、そして、その一方で、ユーザーの投稿による自浄作用や良きネットメディアを作ろうとする若いライターや編集者の存在といったネットの微かな希望を取り上げる。
終章「あなた自身もクソメディア?」では、外野からの適当な発言、デマやありそうな美談への加担など「個人のクソメディア化」について述べる。
第2部では、ネットいうメディア全体が、マス化している状況について述べる。かつては頭のいい人たちやギークたちのためにあったものが、バカと暇人のものになり、そして普通の人たちを取り込んで、今に至っている。そしてマスメディアもネットを使ってバズらせたり、逆にネット発の情報を一時情報として拡散するようになった。(p.144)
■『スマホ断食 ネット時代に異議があります』藤原智美(潮出版社)
「情報断食」を経験した著者が、すべてがデジタル情報に還元されようとしている現代社会のなかでのネット・SNS的なコミュニケーションのあり方、ビッグデータによる監視社会化、リアルにも現れる「祭り」現象、デジタル化による知識や思考力、アイデンティティ、オリジナリティの喪失などを鋭く批判的に考察する。そして、著者は日本の若い世代のネットユーザーはスマホのSNSやゲームのアプリばかりを使いそれに時間を奪われ、知的好奇心を失い、「検索バカ」にすらなれなくなり、「SNS「無」思考的人間」になり、社会そのものもSNS化(集団従属的思考化)しつつあると云う。著者のピュアで鋭敏なメディア状況への批判精神がつまったとてもいい本です。
ネット社会とは「個が個を意識できる」、言葉をかえれば「あなたがあなたでいられる」時間を剥奪する社会です。自分自身に向けて言葉を発して、自分で答えをだす自力の知的活動を、非効率で時代遅れのように侮蔑するような傾向すらみられます。ネット世界とは自己の内面の深みに達するような思考が非常にむずかしい世界です。(p.16)
現代社会の言葉はSNSなどに流れるネット言葉の影響によって透明のラップのように薄くなり、しだいに意味を失いつつあるように思えます。紙の上の活字がデジタル文字によって一掃されつつあるようで、私は恐ろしくてなりません。
というのも、SNSが「個」の発信ではなくて、結果として「集団」への従属を促進する装置のように見えるからです。「私」を伝えているように見えながら、実は「皆」に溶けこむために発信されている言葉、それによって組み立てられるのが、SNS思考です。(p.200)
■『スマホ断食 コロナ禍のネットの功罪』藤原智美(潮新書)
上記の『スマホ断食』の加筆版を新書で出版したもの。
■『ネットで「つながる」ことの耐えられない軽さ』藤原智美(文藝春秋)
芥川賞作家であり「暴走老人」という流行語を造った著者が、本を読まないことや日本のインターネット上の言葉の使われ方への疑問を起点にし、言語史やメディア論を踏まえて、ネットカルチャーやそれによってできあがった社会の風潮を批判するエッセイ集。
この本では、国家や世界のあり方の急速な変化を前提に、書きことばの衰退を、「ぼくたちのことば」という視点で考えていきます。不可解であり、一見バカげたことにも見える事象について解き明かしていくことで、その原因がことばそのものの変容にあるということを示したいと思います。ことばに起因する不安感、混乱やとまどいの理由も分かると思います。(p.42)
■『検索バカ』藤原智美(朝日新書)
■『デジタル・ミニマリスト: 本当に大切なことに集中する』カル・ニューポート(早川文庫)
■『スマホ脳』アンデッシュ・ハンセン(新潮新書)
スウェーデンの気鋭の精神科医が人間の進化と適応、脳の性質、ドーパミンやセロトニンといった脳内物質、メンタルヘルスなどの観点からスマートフォン使用とその弊害を指摘しスマホ依存の本質に迫る。スマホとSNS、チャットアプリは新しいことを知ることによってドーパミンが発生するという人間の脳の適応を利用し依存を起こす巧妙な装置であり、その他の物事に対する集中(力)と我慢、学力と思考力、リアルな出来事による幸福や感動を失わせるものである。そして、常に手元からインターネットにつながるスマホの発展には決して人間の脳や身体は適応できず、それはIQを下げ、不安やうつ病を起こすものとなっている。しかし、スマホを完全に無くすことは不可能であり、使用時間と機能の制限、脳にも良い毎日の適度な運動によりスマホとうまく付き合っていくべきだ、と著者は述べる。
ドーパミンの役割はつまり、何が重要で何に集中を傾けるべきかを伝えることだが、ここで言う「重要」とはよい成績を取ることでも、元気でいることでもない。祖先を生き延びさせ、遺伝子を残させることだったのだ。スマホほど巧妙に作られたものが他にあるだろうか。ちょっとした「ドーパミン注射」を1日に300回も与えてくれるなんて。スマホは毎回あなたに「こっちに集中してよ」と頼んでいるのだ。(p.107 – 108)
■『スマホが起こす「自分病」って何?』和田秀樹(新講社)
「受験の神様」として知られる精神科医の著者がスマホ依存症の原因と性質、それによる思考力の劣化と子どもの学力低下、SNSでの情報やその思考形式の問題、そして、それらがもたらすコミュニケーションと人間関係の変化とその問題を主に述べる。それはSNS的なみんなからどう見られるかということばかり考えることから生じる「「自分」対「みんな」の関係」であり、そのプレッシャーや強迫感、空気によって自分の実体や思考がなくなる「自分病」が起こるという。
日本のテレビの問題が所々で述べられるが、スマホの問題とは直接つなげて述べられてはいない。日本人はスマホ登場以前からスマホ依存症同様のテレビ依存症であり、日本のインターネット上の情報もほとんどテレビの話題であること、だから日本人はスマホ依存に陥りやすい、それらが大きな問題であると私は思う。
つまり、目の前の快楽よりも、それを我慢することで得られる将来の快楽を求めるという、人間の基本的なソフトプログラムが子どもの時期を通して作られていきます。(p. 67)
ところが依存症になってしまうと、そのプログラムが壊れてしまいます。目の前の快楽しか見えなくなり、それを我慢することで得られるもっと大きな快楽、安心感や充実感や幸福感がまったく見えなくってしまうのです。(同上)
■『インターネット・ゲーム依存症 ネトゲからスマホまで』岡田尊司(文春新書)
精神科臨床医の経験と知見から、ネットとオンラインゲームを快楽を与え一方で脳機能を低下させるデジタル・ドラッグあるいは「負け組の麻薬」だとして、主にスマホとネットゲームにハマる人々の症状と要因やそれらの社会的・器質的構造を述べ、そしてその克服法を示す。
だがインターネット・ゲーム依存の影響の深刻さは、単に時間を奪われたということに留まらない。もっとベースにある能力自体がダメージを受けてしまうのだ。脳の機能自体が悪化してしまう。もっと端的に言えば、「頭が悪くなってしまう」のだ。(p.71 – 72)
■『ネット依存症』樋口進(PHP新書)
ネット依存治療専門外来の臨床医としての知見からネトゲ・スマホ依存の患者の例と精神病や発達障害との関連、そして家族での対処を含めた治療法・治療例を述べる。
「コミュニケーションで失敗した実体験」→「ネットへの逃避」→「長時間の利用」→「またやってしまったという罪悪感」→「自己評価の低下」→「ネットへの逃避」という苦しい循環。ネット依存の患者さんの一部は、こうしたジレンマの中で、ますます自己否定感が強くなってしまっているのです。(p.149)
■『スマホゲーム依存症』樋口進(内外出版社)
■『心と体を蝕む「ネット依存」から子どもたちをどう守るのか』樋口進(ミネルヴァ書房)
■『スマホで馬鹿になる』和田秀樹(時事通信社)
■『親子で読む ケータイ依存脱出法』磯村毅(ディスカヴァー・トゥエンティワン)
■『スマホが学力を破壊する』川島隆太(集英社新書)
■『スマホ廃人』石川結貴(文春新書)
ジャーナリストとしての取材に基づいて主に青少年のスマホ依存とその対処法について述べる。
■『節ネット、はじめました。 「黒ネット」「白ネット」をやっつけて、時間とお金を取り戻す』石徹白未亜(CCCメディアハウス)
ネット利用を、有用だったり知的好奇心を満たす「白ネット」、無駄に時間を消費し嫌な気分になることもある「黒ネット」、仕事や生活に必要な「無害」に分け、白ネットを増やし黒ネットを無くすことからより良いネット利用やネット依存脱却を目指す。しかし「無駄なネットサーフィンをしないためにテレビを見る」というのは、私には大いに疑問。
■『スマホをやめたら生まれ変わった』クリスティーナ・クルック(幻冬社)
■『ネトゲ廃人』芦崎治(リーダーズノート)
ネトゲ廃人たちに直接取材し、その実態を初めて書籍化した「名著」。